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静岡地方裁判所浜松支部 昭和54年(ワ)155号 判決

《目  次》

当事者の表示

主文

事実

第一当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

二請求の趣旨に対する答弁

第二当事者の主張

一請求原因

1   当事者

2の1 被告古河の久根鉱業所における作業内容と作業環境

2の2 被告古河元従業員のじん肺罹患

2の3 安全保証義務の存在とその内容

2の4 被告古河の債務不履行

2の5 被告古河の注意義務違反

2の6 被告古河の責任

3の1 原告植杉の作業歴と作業環境

3の2 原告植杉のじん肺罹患

3の3 安全保証義務の存在とその内容

3の4 被告間組の債務不履行

3の5 被告間組の注意義務違反

3の6 被告間組の責任

4の1 川口昭三の作業歴と作業環境

4の2 川口昭三のじん肺罹患

4の3 安全保証義務の存在とその内容

4の4 被告飛島の債務不履行

4の5 被告飛島の注意義務違反

4の6 被告飛島の責任

5   損害

二請求原因に対する認否

(被告古河)

(被告間組)

(被告飛島)

三被告古河の主張

1 防じん対策

2 健康管理

3 じん肺教育

四被告間組の主張

1 防じん対策

2 健康管理

3 じん肺教育

五被告飛島の主張

1 水量の確保

2 換気の方法

3 坑夫に対する教育

六被告古河の抗弁

1 和解契約の締結

2 消滅時効

3 過失相殺

4 損益相殺

七被告間組の抗弁

1 消滅時効

2 寄与率による損害賠償額の減額

3 過失相殺

4 損益相殺

八被告飛島の抗弁

1 消滅時効

2 過失相殺

九各被告の抗弁に対する認否

(被告古河の抗弁に対し)

(被告間組の抗弁に対し)

(被告飛島の抗弁に対し)

(原告らの主張)

1 消滅時効の起算点について

2 過失相殺について

3 損益相殺について

一〇再抗弁―権利の濫用

一一再抗弁に対する被告らの認否

第三証拠〈省略〉

理由

(被告古河の責任)

一当事者

二久根鉱業所における作業内容と作業環境

1各坑の概要

2採掘作業の概要

3各坑内作業員の作業内容と粉じんの発生

三被告古河元従業員のじん肺罹患

1じん肺の病像

2金属鉱山におけるじん肺

3坑内作業従事と粉じんの吸入

4被告古河元従業員のじん肺罹患と坑内作業との因果関係

四安全配慮義務の存在とその内容

1安全配慮義務の存在

2じん肺対策実施義務の存在

3じん肺対策の具体的内容

五被告古河の債務不履行

1湿式さく岩機の使用と配水の確保

2収じん機の使用

3散水の実施

4通気の確保

5防じんマスクの支給

6発破方法の改善

7労働時間の遵守

8健康管理

9じん肺教育

10配置転換

六被告古河の責任

(被告間組の責任)

一当事者

二原告植杉の作業歴と作業環境

1原告植杉の作業歴

2トンネル掘削作業の概要

3トンネル内の作業環境

三原告植杉のじん肺罹患

1じん肺の病像

2トンネル坑夫のじん肺

3トンネル掘削作業従事と粉じんの吸入

4原告植杉のじん肺罹患とトンネル掘削作業との因果関係

四安全配慮義務の存在とその内容

1安全配慮義務の存在

2宮建設株式会社の被傭者たる原告植杉に対する安全配慮義務の存在

3じん肺対策実施義務の存在

4じん肺対策の具体的内容

五被告間組の債務不履行

六被告間組の責任

(被告飛島の責任)

一当事者

二川口昭三の作業歴と作業環境

1川口昭三の作業歴

2トンネル掘削作業の概要

3トンネル内の作業環境

三川口昭三のじん肺罹患

1じん肺の病像

2トンネル坑夫のじん肺

3トンネル掘削作業従事と粉じんの吸入

4川口昭三のじん肺罹患とトンネル掘削作業との因果関係

四安全配慮義務の存在とその内容

1安全配慮義務の存在

2じん肺対策実施義務の存在

3じん肺対策の具体的内容

五被告飛島の債務不履行

六被告飛島の責任

(被告らの抗弁)

一和解契約の締結

二消滅時効

三寄与率による損害賠償額の減額

四過失相殺

五損益相殺

(原告らの損害)

(結論)

別紙一認容金額一覧表

二請求金額一覧表

三相続人一覧表

四原告ら主張被告古河元従業員作業一覧表

五被告古河元従業員労災保険給付一覧表

六被告古河元従業員厚生年金保険給付推計一覧表

七被告古河協定に基づく支給金一覧表

八被告古河元従業員作業一覧表

九金属鉱山等保安規則変遷表

一〇原告植杉トンネル掘削工事従事一覧表

一一じん肺による症状一覧表

別紙図面(一) 久根鉱業所本山坑縦断面図

(二) 久根鉱業所名合坑縦断面図

昭和五三年(ワ)第三五二号事件原告

平出猪家

同事件原告

日名地九一

同事件原告

仲谷久好

同事件原告

佐々木一郎

同事件原告

長沼博

同事件原告

植山夘吉

同事件原告

立石福松

同事件原告

月花重

日名地潔訴訟承継人同事件原告

日名地久子

同事件原告

轟勝

同事件原告

佐奈源吉

同事件原告

田口孝平

杉浦伊三郎訴訟承継人同事件原告

杉浦芳子

杉浦伊三郎訴訟承継人同事件原告

杉浦勝久

杉浦伊三郎訴訟承継人同事件原告

杉浦文男

杉浦伊三郎訴訟承継人同事件原告

杉浦岳男

同事件原告

松本繁育

同事件原告

木下勇

同事件原告

山下静江

同事件原告

山下公子

同事件原告

小林満子

同事件原告

板垣京子

同事件原告

山下昇

同事件原告

老松泰子

同事件原告

植杉次郎

川口昭三訴訟承継人同事件原告

菅野弘子

川口昭三訴訟承継人同事件原告

川口伸彦

昭和五四年(ワ)第一五五号事件原告

横村金一

同事件原告

鈴木三雄

同事件原告

高柳はつ

同事件原告

高柳悌子

同事件原告

高柳晃

同事件原告

高柳敬

同事件原告

村井緑

昭和五五年(ワ)第三四八号事件原告

守屋育造

立石夘三造訴訟承継人同事件原告

笹野町子

立石夘三造訴訟承継人同事件原告

柵木みね子

立石夘三造訴訟承継人同事件原告

立石浅次郎

立石夘三造訴訟承継人同事件原告

村田ツギ子

立石夘三造訴訟承継人同事件原告

立石秀雄

立石夘三造訴訟承継人同事件原告

立石昭男

同事件原告

奥山竹松

菅周治訴訟承継人同事件原告

菅ふみゑ

菅周治訴訟承継人同事件原告

菅明夫

菅周治訴訟承継人同事件原告

渡邊明子

右原告ら訴訟代理人弁護士

田代博之

渡邊昭

名倉実徳

石田享

森下文雄

藤森克美

大橋昭夫

伊藤博史

友光建七

清水光康

昭和五三年(ワ)第三五二号、同五四年(ワ)第一五五号、同五五年(ワ)第三四八号各事件被告

古河鑛業株式会社

右代表者代表取締役

西川次郎

右訴訟代理人弁護士

長尾憲治

昭和五三年(ワ)第三五二号事件被告

株式会社間組

右代表者代表取締役

本田茂

右訴訟代理人弁護士

山田賢次郎

奥平力

昭和五三年(ワ)第三五二号事件被告

飛島建設株式会社

右代表者代表取締役

飛島章

右訴訟代理人弁護士

大場民男

右訴訟復代理人弁護士

鈴木匡

鈴木順二

山本一道

伊藤好之

朝日純一

鈴木和明

吉田徹

主文

一 被告古河鑛業株式会社は、別紙一認容金額一覧表の原告番号一ないし一六の6、一九ないし二五の3の各原告に対し、同表の認容金額合計欄記載の各金員及び右各金員に対する同表の遅延損害金の起算日欄記載の各年月日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告株式会社間組は、原告植杉次郎に対し、金一六五〇万円及びこれに対する昭和五四年一月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告飛島建設株式会社は、原告菅野弘子及び原告川口伸彦に対し、各金八二五万円及びこれに対する昭和五四年一月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

六  この判決は第一ないし第三項記載の金員につき各二分の一の限度において仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1 被告古河鑛業株式会社は、別紙二請求金額一覧表の原告番号一ないし一六の6、一九ないし二五の3の各原告に対し、同表の請求金額合計欄記載の各金員及び右各金員に対する同表の遅延損害金の起算日欄記載の各年月日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告株式会社間組は、原告植杉次郎に対し、金三三〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告飛島建設株式会社は、原告菅野弘子及び原告川口伸彦に対し、各金一六五〇万円及びこれに対する昭和五四年一月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告古河鑛業株式会社)

1 請求の趣旨1項記載の原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は右原告らの負担とする。

3 仮執行免脱宣言

(被告株式会社間組)

1 原告植杉次郎の請求を棄却する。

2 訴訟費用は右原告の負担とする。

3 仮執行免脱宣言

(被告飛島建設株式会社)

1 原告菅野弘子及び原告川口伸彦の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は右原告らの負担とする。

3 仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張〈省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

まず、各被告毎に債務不履行責任又は不法行為責任の有無について検討し、次いで、被告らの抗弁、損害及び損害額について三被告併せて検討する。

(被告古河の責任)

一当事者

請求原因1(一)の事実は、原告ら(但し、原告植杉、原告菅野弘子及び原告川口伸彦を除く。以下、被告古河との関係で「原告ら」というときは右に同じ。)と被告古河との間において争いがない。

二久根鉱業所における作業内容と作業環境

1各坑の概要

請求原因2の1の(一)の事実は、本山坑の下部坑道が下一五番坑まであつたことを除き原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、久根鉱業所本山坑及び名合坑について次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 本山坑

本山坑は亨保年間(一七三〇年代)に開坑されたが以後ほとんど放置された状態が続き、明治三二年に古河市兵衛の所有となつてから本格的に採鉱が行われ被告古河設立後同被告に採鉱が引き継がれ、昭和四五年一一月に閉山された。本山坑の鉱床は層状含銅硫化鉄鉱床であり、平均銅品位は三パーセント以上であつた。

水平坑道としては、標高約一三五メートルの位置に坑内作業員の出入り、材料及び資材の出し入れ、採掘した鉱石、岩石の搬出等を行うための幅約四メートル、高さ約二・五メートルの通洞坑があり、その上部に約三〇メートル毎に上一番坑から上七番坑までの幅約一・五メートル、高さ約二・一メートルの各坑道、下部に同じく約三〇メートル毎に下一番坑から下一四番坑までの同じ大きさの各坑道が存した。右上部、下部の各坑道は逐次開坑され、また鉱石の品位が低下するに従つて放棄されていつたが、上下方向に最も大きく開坑されていた時でその上下方向の間隔は約六二〇メートル位(通洞坑から上部に約二〇〇メートル、下部に約四二〇メートル)であつた。

各水平坑道は、各水平面において一本の直線の坑道であつたわけではなく、鉱脈に向かつて枝のようにいくつもに分岐して掘削されておりその行きどまりの先端が採鉱切羽となつていた。坑道は、水平方向に最も広く開坑されていた時で東西約六〇〇メートル、南北約六五〇メートル位の範囲内にあつた。

なお、通洞坑のほか上七番坑、上四番坑が坑外に通じていた。

垂直方向の坑道としては、坑内作業員及び資材の昇降、鉱石、岩石の搬出等を行うために、通洞坑から上四番坑までを貫く東向立坑(但し、坑内作業員及び資材の昇降のみ行い、鉱石、岩石の搬出のためには別に万年坑井と称する立坑があつた。)、通洞坑から下七番坑までを貫く西向立坑、下七番坑から下一二番坑までを貫く下七立坑、下一二番坑から下一四番坑までを貫く下一二斜坑等の大立坑、斜坑が存し、そのほか、採鉱切羽では下部の水平坑道から上部の水平坑道に向けて水平距離で約三〇ないし五〇メートル毎に立坑(切羽立坑)が掘削され採鉱後もそのまま放置されたため、無数の立坑が存した。右立坑は、原則として下部の水平坑道から上部の水平坑道まで貫通することとされていたが、場合によつては途中までしか掘削されない立坑も存した。

本山坑の主要な水平坑道、大立坑等の縦断面図は別紙図面(一)のとおり(但し、距離は縮尺ではない。)である。

(二) 名合坑

名合坑は大正二年に開坑されたが、昭和一三年から本格的に採鉱が行われ、同四五年一月に閉山された。その鉱床は本山坑と同じく層状含銅硫化鉄鉱床であり、銅品位は一・五ないし一・八パーセント位のものが最も多かつた。

水平坑道としては、標高約一三〇メートルの位置に幅約四メートル、高さ約二・五メートルの通洞坑があり、その上部に幅約一・五メートル、高さ約二・一メートルの上一番坑、上二番坑、上五番坑の各坑道、下部に下一番坑から下一五番坑までの同じ大きさの各坑道が存し、上下方向に最も大きく開坑された時の上下方向の間隔は約六六〇メートル位であつた。

本山坑同様、各水平坑道から鉱脈に向かつて分岐して掘削された行きどまりの先端が採鉱切羽となつており、坑道は水平方向では東西約一一〇〇メートル、南北約一五〇メートルの範囲内にあつた。

また、通洞坑のほか上二番坑、上五番坑が坑外に通じていた。

垂直方向の坑道としては、坑内作業員及び資材の昇降、鉱石、岩石の搬出等を行うために、通洞坑から下四番坑までを貫く三二〇立坑、下四番坑から下七番坑までを貫く四六〇立坑、通洞坑から下八番坑までを貫く七五〇立坑、下八番坑から下一四番坑までを貫く一三〇〇立坑等の大立坑、斜坑が存し、本山坑同様の立坑(切羽立坑)も多数存した。

名合坑の主要な水平坑道、大立坑等の縦断面図は別紙図面(二)のとおり(但し、距離は縮尺ではない。)である。

2採掘作業の概要

請求原因2の1の(二)の事実(坑道掘削、採鉱は原則としてさく孔、発破、岩石、鉱石の搬出、切羽留付の順序で作業がなされたこと及び採鉱において上向充填式水平段欠法がとられていたこと)は、原告らと被告古河との間において争いがない。

3各坑内作業員の作業内容と粉じんの発生

(一) 坑内作業員の職種として、進さく夫、坑夫(昭和三八年一〇月からは両者併せてさく岩員となつた。)、運搬夫、支柱夫があつたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、証人千葉敏男の証言によれば、他に、運転夫、線路夫、常用夫等の坑内職種があつたことが認められ、〈証拠〉によれば、坑外の職種として選鉱が存したことが認められる。

そこで、右各坑内作業員(但し、選鉱も含める。)の作業内容と作業時の粉じんの発生、曝露のおそれについて検討する。

(二) 進さく夫

進さく夫の作業内容が中型ないし大型のさく岩機を使用して採鉱切羽、坑道掘進の切羽でさく孔作業及び発破かけ作業を行うこと並びに切上り(立坑の下からの開坑)であつたこと、さく孔、発破によつて粉じんが発生することは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

進さく夫のさく孔作業は当初のみと槌による手掘り作業で行われていたが、大正四年からは乾式さく岩機も使われ作業能率が五倍以上上がると共に粉じんの発生も飛躍的に増加し、粉じんの個数、重量について通気量等の条件によつては計測不可能なほど多量の粉じんが発生した。その後、湿式さく岩機が導入され後には湿式さく岩機のみ使われることとなり、湿式さく岩機を適正に使用するときは粉じんの発生を乾式さく岩機の場合より八〇パーセント以上減少させたが、使用する水量の適否によつて粉じん抑制の効果は大きく異なつた。また、「もも取り」と称したさく孔の当初四、五センチメートル孔座を掘る時は、湿式さく岩機の場合も空くりをすることが多く乾式さく岩機の場合と同様の粉じんが発生した。

坑道掘進の場合切羽は幅約一・五メートル、高さ約二・一メートルの大きさであり(二項1で認定したとおり)、そこに深さ一ないし一・二メートル位の火薬装填用の孔を一五ないし二〇本位さく孔したが、さく岩機を使用した場合のさく孔時間は約三時間前後であつた。採鉱切羽の場合高さは約二・一メートルであつたが幅は鉱脈の大きさによつて異なり、さく孔の深さは約一メートル位でその本数も切羽により異なつた。

採鉱の主たる方法であつた上向充填式水平段欠法では下部の水平坑道から一つ上の水平坑道に向けて(場合によつては途中まで)まず立坑が掘削され、下の部分から水平方向に採鉱されたため、進さく夫は水平方向が貫通するまでの間は行き止まりの限られた空間で粉じんに曝された。

切上りの立坑の水平面の大きさは一メートルと二メートルの長方形であり、立坑は必ずしもすべて垂直に掘削されたのではなくある程度の角度をもつて掘削されることもあつたが進さく夫はさく孔時に頭の上から粉じんをかぶる結果となつた。

発破後は最も多量の粉じんが発生し、それが十分稀釈され、沈静する前に発破箇所に戻つた時はさく孔時以上の粉じんに曝された。

(三) 坑夫

坑夫の作業内容が小型さく岩機を使用して採鉱切羽でさく孔作業を行うこと、切上り、下積及び刎込であつたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

坑夫のさく孔作業も進さく夫同様当初手掘り作業で行われていたのが乾式さく岩機、湿式さく岩機の使用に変わつていつたが、小型の湿式さく岩機の使用はかなり後になつてからであり、坑夫も進さく夫同様さく孔時多量の粉じんに曝された。また、発破後短時間で発破箇所に戻る時は発破による多量の粉じんに曝された。

発破で起こされた鉱石、岩石をトロッコに入れる下積作業は、本山坑では最後まで鍬と金箕による手作業、名合坑では昭和二八年ころからスクレーパー及びローダーという機械を使つての作業となつたが、発破で起こされた状態のままトロッコに積む場合は鉱石、岩石をすくう時及びトロッコにあける時にかなりの粉じんが発生し、発破後散水した場合も余程中まで濡らさない限り作業の度に新たに粉じんが舞い上がつた。下積前にはその準備として発破で十分起こされなかつた浮石を払つたり大きな鉱石、岩石を玄翁で割る玉石割を行つたりしたが、その際も粉じんは発生した。

トロッコから立坑のうち坑井(立坑は支柱夫の作業により鉱石、岩石を落とす「坑井」という部分と作業員が昇降するはしごのある「人道」という部分に半分に板で仕切られていた。)に鉱石、岩石を落とす刎込作業時にも、十分濡れていない鉱石、岩石では下積時同様一度に多量の粉じんが発生した。

したがつて、坑夫は、下積時及び刎込時の多量の粉じんにも曝されることがあつた。

(四) 運搬夫

運搬夫の作業内容が下積、刎込、中出し、中継ぎ、充填であつたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

運搬夫の作業内容は、下積、刎込、坑井に入れた鉱石、岩石をトロッコに抜き選鉱場等に運搬する中出し、トロッコに抜いた鉱石を大立坑まで運搬し大立坑に落とす中継ぎ、採鉱跡の充填を主としたが、下積、刎込では鉱石、岩石が乾燥している場合は勿論十分湿潤な状態でない限り作業の度に粉じんが発生、拡散し、運搬夫はこれに曝された。運搬夫は下積前に浮石払いや玉石割を行つたがこの時も同様であつた。

また、進さく夫、坑夫のさく孔作業が運搬夫の作業の近くでなされる時は、運搬夫もさく孔による粉じんに曝されるおそれがあつた。

中出しの漏斗抜き(坑井の下部の漏斗のように細くなつているところから鉱石、岩石をスカシという先の尖つた金棒でつつきながらトロッコに落とすこと)ではこの段階で鉱石、岩石に散水することはできないから十分湿潤な鉱石、岩石が刎ね込まれていないと一度に多量の粉じんがたつた。

採鉱跡の充填は廃石でなされたが、跡地に約一・五メートル四方の鉄板や矢板を敷きその上にトロッコから廃石をあけその後スコップで一杯ずつはね上げて充填するためかなりの粉じんが発生した。もつとも、名合坑では昭和三二年一一月からは廃石ではなく選鉱場で選鉱の際生じる廃泥を使うスライム充填が行われ、廃泥は水分を多量に含みパイプで注ぎ込むものであつたため、粉じんの発生はなかつた。

(五) 支柱夫

支柱夫の作業内容が切羽の留付、切上りの足場入れ、立坑の改修及び枠上げ、狭くなつた坑道の改修留付、大立坑改修であつたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

支柱夫は、日常的な作業としては採鉱切羽の留付作業、切上りの足場入れ作業、立坑改修及び枠上げ作業を行い、必要に応じて狭くなつた坑道の改修留付作業、保安上危険のある箇所の補修作業を行い、特別作業としてまれに大立坑の改修作業を行つた。

採鉱切羽の留付作業は、発破後切羽の確保のため行うもので粉じんが十分稀釈され沈静する前に発破箇所に入つたり同時に下積作業等が行われたりする時は発破時の粉じんや下積作業等による粉じんに曝された。また、天盤に押木を上げ側壁に丸太を立てる時は岩盤にくぼみをつけるので支柱夫の作業自体によつても粉じんがたつた。

切上りの足場入れ作業は、立坑掘削の際進さく夫、坑夫が上に向かつてさく孔作業をする足場を立坑のうち人道となる部分に丸太と板で順々に上へと作るものであり、支柱夫の作業開始時には足場の棚の上にその前の発破で起こされた岩石が溜つているためそれをまず坑井に落とすこと(これを「ずり掻き」と称した。)が必要であつたが、その際多量の粉じんを生じ支柱夫は粉じんに曝された。

立坑改修及び枠上げ作業は、人道と坑井を仕切る板を立坑内に張つたり、また、落とされた岩石、鉱石で破損した仕切りの板を修理したりする作業で、立坑内が全体として乾燥している場合は支柱夫の作業自体で粉じんがたつこともあつた。更に、近くの切羽で同時にさく孔作業や下積作業が行われている時はその粉じんにも曝されるおそれがあつた。

坑道の改修留付作業では、支柱夫自らさく岩機を使用して岩盤を掘削したり岩石を下積、刎込したりすることがあり、その際は右各作業による粉じんに曝されることとなつた。

(六) 運転夫、線路夫、常用夫

〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

運転夫は立坑、斜坑の鉱石を入れたケージ、スキップの捲揚機、排水ポンプ等坑内の機械の運転を作業内容とするものであつたが坑道内に浮遊する粉じんに曝されることがあつた。

線路夫は水平坑道及び採鉱切羽の坑道にトロッコ用の線路を敷設しその保線、撤去を行うことを作業内容とするもので、運搬夫同様粉じんに曝された。

常用夫は雑用的な仕事を行う職種であつたが、仕事によつて坑内の各所に行き粉じんに曝されることがあつた。

(七) 選鉱

〈証拠〉によれば、大正時代から昭和二八年ころまでの選鉱の方法は、概ね、鉱石を大きさで分け大きいものは二回にわたつてクラッシャーで破砕し、廃石を手で分け、コニカルボールミルで磨鉱、分級、濃縮し浮選するという方法で行われていたが、鉱石を選鉱場内であける際及びクラッシャーで破砕する際にはかなり多量の粉じんが発生し、選鉱場で働く作業員はこの粉じんに曝されたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(八) 坑内の作業環境

(二)ないし(五)のとおり坑内作業員、とりわけ、進さく夫、坑夫、運搬夫、支柱夫の作業によつて粉じんが発生し当該作業現場又はそれに近接する場所の坑内作業員が粉じんに曝されたほか、〈証拠〉によれば、発生した粉じんは坑内全体に拡散していき坑内のうちほとんどの場所では程度の差はあるが常時粉じんが浮遊している状態にあつたことが認められる。

更に、〈証拠〉によれば、本山坑では、かつて一部採鉱して充填した跡を再度採鉱する旧坑取明が多く行われたため酸化熱で坑内は特に暑く、摂氏三四度を越える切羽は放棄することとされていたものの下部の坑道、切羽では裸作業を余儀なくされる程の暑さの三〇度を越える箇所がほとんどであつたこと、坑外の気温が二度という真冬でも坑内には三〇度近い高温の切羽もあつたこと、名合坑でも坑道が地下深く掘削されるに従い三〇度近い切羽となつたこと、本山坑、名合坑とも湿度は常時一〇〇パーセント近く極めて多湿であつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三被告古河元従業員のじん肺罹患

1じん肺の病像

請求原因2の2の(一)の事実のうちじん肺が粉じんを吸入することにより生ずる肺疾患で肺の線維増殖性変化を主体とすることは原告らと被告古河との間において争いがなく、現じん肺法によれば、じん肺管理区分は胸部全域のエックス線写真におけるじん肺による粒状影又は不整形陰影(旧じん肺法で異常線状影といわれていたものを含む線状、細網状、線維状、網目状、蜂窩状、斑状等の影)及び大陰影の程度とじん肺による著しい肺機能障害の有無とによつて決定されることは公知の事実であるから、じん肺は胸部エックス線写真に粒状影、不整形陰影が現れ進行に伴つて著しい肺機能障害をきたす疾患ということができる。

更に、〈証拠〉によれば、じん肺の病像に関し次の各事実を認めることができる。

(一) じん肺とは、臨床病理学的には「各種の粉じんの吸入によつて胸部エックス線に異常粒状影、線状影が現れ、進行に伴つて肺機能低下をきたし、肺性心にまで至る、剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め血管変化をも伴う肺疾患である」と定義することができ、その病理機序については次のとおり説明されている。

すなわち、吸入された粉じんは、一部は気管支に付着し気管支粘膜の上皮細胞の線毛のはたらきで痰にまじつて再喀出されるが、肺胞内に達すると粉じんを感じて肺胞壁から出てくる喰細胞によりその体内にとりこまれ、粉じんをとりこんだ喰細胞は肺間質のリンパ管に入りリンパ腺に運ばれてここに蓄積される。珪酸分を多く含んだ粉じんの場合は、リンパ腺にたまつた粉じんは更にリンパ腺の細胞を増殖させ、その結果、正常な細胞が壊れて膠原線維(線維状の一種の蛋白質で場所を塞いだり細胞を支持する役割しか果たせないもの)が増加し、線維でおきかえられたリンパ腺はリンパ球の生産、害物の解毒等の本来の機能を果たせなくなる。リンパ腺がこのように閉塞されてしまつたあと吸入された粉じんは、肺胞腔内に蓄積し、肺胞壁が壊れてそこから線維芽細胞という線維を作る細胞が出て来て肺胞腔内にも線維ができ、かたい結節ができる。これを珪肺結節という。

珪酸分を多く含んだ粉じん以外の粉じんは、前者に比べてリンパ腺に運ばれにくいものが多く、初めから右のような肺胞腔内の線維増殖性変化を主体とするものがある。

これらの肺胞腔内にできるかたい結節=じん肺結節の大きさは〇・五ないし五ミリメートルにわたるが、吸じん量が増えるにしたがいじん肺結節の大きさも数も増えていき最後には融合して手拳大の塊状巣(粉じん性線維化巣)を作る。じん肺結節が増大するということはその領域の肺胞壁が閉塞することであり、塊状巣の中ではかなり大きな気管支や血管も狭窄したり閉塞したりする。

以上のような肺胞腔内の線維化が進行する一方で、肺胞腔内に入る粉じんは当然気管支を通過することから気管支に常時刺激を与え、気管支変化も必発する。慢性気管支炎を生じ、また、細小気管支腔は狭くなつて呼気時気道の抵抗が大きくなり、末梢の肺胞壁に負担がかかり壁が破れて肺胞腔が拡大し肺気腫を生じる。気腫壁にはほとんど血管がないから空気が入つてきてもガス交換を行うことができなくなる。

この間、血管の変化も漸増して循環障害が起こり、心臓への負担を増大させて肺性心にまで至る。

(二) 気道の粉じんろ過能力、再喀出能力には個人差があり肺内の組織の反応性にも個人差があるので、じん肺に罹患するか否か、じん肺に罹患するまでの期間にも粉じん濃度、粉じん曝露時間によるほかかなり大幅な個人差がある。

したがつて、一概にじん肺罹患には何年かかるとも、何年以下ならじん肺に罹患しないともいうことはできない。

(三) じん肺の合併症として、現じん肺法施行規則(昭和五三年労働省令第九号)は肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症、続発性気胸の五つをあげているが、現在では、じん肺管理区分の管理四の者が罹患した肺がんもじん肺の合併症であるとすることにほぼ医学上の意見が一致しており、そのほか、肺炎、肺がん以外の悪性腫瘍、消化性潰瘍、二次性多血症、心筋梗塞等虚血性心疾患、脳血管障害、肝障害、腎障害等も合併症として考えられるのではないかとの指摘もある。

(四) じん肺の病変には、(1)初期の気管支炎等気管支変化に対しては治療効果があるが、粉じん性線維化巣、進行した気管支変化、肺気腫、血管変化に対しては元の状態に戻す治療方法はない不可逆性疾患である、(2)粉じん職場を離れ粉じんの吸入が止んだ後も吸入した粉じんの量に対応して病変が増悪する進行性疾患である、なお、病変が潜行して粉じん職場離職後一〇年以上を経て顕在化する場合もある、(3)慢性の酸素不足により各種臓器にも慢性的な酸素不足が生ずるのみならず、粉じんの種類によつては長い間に肺から全身の臓器に粉じんが分布し機能障害を起こすことがある全身性疾患であるとの特質がある。

2金属鉱山におけるじん肺

〈証拠〉によれば、およそ三〇ないし四〇パーセント以上の遊離珪酸濃度の高い金属鉱山では線維増殖性変化の強い典型珪肺が発生し、およそ二〇パーセント以下の遊離珪酸濃度の低い金属鉱山では非典型珪肺が、硫化鉱山では硫化鉱肺が発生するおそれがあるが、非典型珪肺及び硫化鉱肺では、いずれも線維増殖性変化は比較的弱いが気管支炎が強く、したがつて、エックス線所見の割には心肺機能が高度に障害されている症例が多いとの特徴があることが認められる。

そして、江戸時代から金属鉱山には「よろけ」という職業病があることが知られていたことは原告らと被告古河との間において争いがなく(請求原因2の5の(一)の事実に対する認否のとおり)、〈証拠〉によれば、「よろけ」とは珪肺を指していたこと、「よろけ」の原因としては坑内の照明用の燈火の油煙と共に石じんも考えられていたことが認められ、〈証拠〉によれば、明治時代以降も金属鉱山における呼吸器疾患の多発、その原因としての粉じんの存在、坑内の通気の改善等粉じん対策の必要性が指摘され続けてきたこと、この中には被告古河操業の足尾鉱山における調査もあつたことが認められる。

したがつて、金属鉱山におけるじん肺は、じん肺の中でも特に古くからの知見であつたということができる。

更に、〈証拠〉によれば、昭和二二年九月に発足した労働省は、金属鉱山労働者及び使用者等の要望もあつて「各種職業病の問題のうち最も深刻で悲惨な金属山における珪肺問題」をまず職業病の中で取り上げることとし、同二三年一〇月から同二四年三月にかけて全国五一の金属鉱山の労働者約二万四〇〇〇名を対象として珪肺の集団検診を行つたこと、右検診はエックス線間接撮影を中心とするものであつたが、粉じん作業勤続年数一〇年以上の経験ある者、その他検診医が必要と認めた者に対してはエックス線直接撮影を実施したこと、右検診でエックス線直接撮影を受けた者のうち約六〇パーセントの者に珪肺性変化が認められ、この結果からは全国金属鉱山の粉じん作業者の一一パーセント以上の者が珪肺に罹患しているのではないかと考えられたこと、被告古河の久根鉱業所は右集団検診の対象となつたが、久根鉱業所の作業員でエックス線直接撮影を受けた者のうち約九五パーセントの者に珪肺性変化が認められたことが認められる。

3坑内作業従事と粉じんの吸入

請求原因2の2の(二)の事実のうち被告古河元従業員が久根鉱業所本山坑又は名合坑において坑内作業に従事したこと及び原告植山夘吉、原告木下勇の従事期間は原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告古河元従業員は、別紙八被告古河元従業員作業一覧表の鉱山名欄記載の本山坑又は名合坑において同表の坑内作業従事期間欄記載の各期間同表の職種欄記載の各職種として坑内作業に従事したこと及び同表の最終退職日欄記載の各年月日に被告古河を最終的に退職したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二項3の(二)ないし(七)で認定した各職種の作業内容と作業時の粉じんの発生、曝露のおそれの事実と右被告古河元従業員の坑内作業従事の事実によれば、被告古河元従業員は右坑内作業従事の期間中量の多少について変動はあるものの粉じんに曝されこれを吸入したことを認めることができる。

4被告古河元従業員のじん肺罹患と坑内作業との因果関係

(一) 請求原因2の2の(三)の事実のうち被告古河元従業員がいずれも別紙四原告ら主張被告古河元従業員作業一覧表の管理四決定日欄記載の各年月日に旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けた(但し、山下岩男についてはけい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法によるけい肺の症状第四症度の決定、高柳政治については珪肺措置要綱による要領三の決定、菅周治については現じん肺法によるじん肺管理区分の管理三合併症肺結核の決定をそれぞれ受けた。)ことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右事実によれば、被告古河元従業員がいずれもじん肺に罹患したことも明らかである。

そこで、被告古河元従業員のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との因果関係について検討する。

(二)3及び4(一)で認定した事実又は争いのない事実によれば、原告日名地九一、同仲谷久好、同立石福松、同轟勝、同木下勇、同横村金一及び同鈴木三雄の七名はいずれも被告古河勤務中に旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたもの並びに同人らはいずれも一五年以上久根鉱業所で坑内作業に従事したものであり、〈証拠〉によれば、原告日名地九一、同仲谷久好、同轟勝、同木下勇、同鈴木三雄はいずれも被告古河に勤務する以前何ら粉じん作業に従事したことはないこと及び原告立石福松、同横村金一はいずれも被告古河に勤務する以前他の鉱山で坑内作業に従事したことがあるがその期間は原告立石福松について被告古河での期間が約二七年八月であるのに対して約一年八月、原告横村金一について被告古河での期間が約二二年一一月であるのに対して約二年八月と短期間であることが認められるから、原告日名地九一、同仲谷久好、同立石福松、同轟勝、同木下勇、同横村金一及び同鈴木三雄の七名のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との間に因果関係があることが推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。

(三)3及び4(一)で認定した事実又は争いのない事実によれば、原告平出猪象、同佐々木一郎、同長沼博、同植山夘吉、同月花重、同佐奈源吉、同田口孝平、同松本繁育、同守屋育造及び同奥山竹松並びに日名地潔、高柳政治及び立石夘三造の一三名はいずれも被告古河退職後に旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けた(但し、高柳政治については前記のとおり)ものであるが同人らは原告佐奈源吉以外はいずれも一五年以上久根鉱業所で坑内作業に従事したもの、原告佐奈源吉も第二次世界大戦中から戦後にかけての約八年八月の間従事したものであり、〈証拠〉によれば、原告平出猪象、同長沼博、同日名地潔、同佐奈源吉、同田口孝平、同守屋育造及び同奥山竹松並びに高柳政治はいずれも被告古河に勤務する以前にも以後にも何ら粉じん作業に従事したことはないこと、原告佐々木一郎、同植山夘吉、同月花重及び同松本繁育はいずれも被告古河に勤務する以前他の鉱山で坑内作業に従事したことがあるがその期間はそれぞれ一年二月、一月、約五年、約一年六月とそれ自体短期間であるかそうでないとしても久根鉱業所での勤務期間に比べて短期間であること、立石夘三造は昭和六年一〇月から同一九年一〇月までの一三年間の間に他の鉱山で坑内作業に従事したことがあるが右の期間はほとんど農作業に従事し月に二日ないし五日鉱山に働きに行くという形態であつたにすぎないことが認められるから、前記原告平出猪象ら一三名のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との間に因果関係があることが推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。

(四)3及び4(一)で認定した事実又は争いのない事実によれば、山下岩男は昭和九年一二月から同一六年三月までと同二〇年一二月から同三〇年一二月までの合計約一六年五月の間久根鉱業所で進さく夫として坑内作業に従事し、被告古河勤務中にけい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法によるけい肺の症状第四症度の決定を受けたものであり、〈証拠〉によれば、山下岩男は久根鉱業所で勤務した中間の昭和一六年四月から同二〇年一一月までの約四年八月の間石原産業株式会社紀州鉱山で進さく夫として坑内作業に従事したが、期間的には久根鉱業所での勤務が三倍以上となること、昭和二三年一一月(久根鉱業所勤務約一〇年四月、紀州鉱山勤務四年八月)に行われた労働省の珪肺巡回検診では珪肺措置要綱の要領一と診断されたにすぎなかつたことが認められるから、山下岩男のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との間に因果関係があることが推認される。

証人榊原正純の証言中には「久根でできた珪肺と紀州でできた珪肺とはレントゲン写真のニュアンスが違い、山下岩男については紀州鉱山の影響がある」旨の供述部分があるが、同証人の供述はそれ自体「久根だけで出てくる珪肺とちよつと違う」「紀州の影響はある」というもので山下岩男のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との因果関係を否定するものではなく、また、同証人の証言によれば紀州鉱山は遊離珪酸濃度が高い金属鉱山であることが認められるが、そうであるとすれば2で認定したとおり線維増殖性変化の強い典型珪肺が発生し同証人も供述するとおりエックス線所見に珪肺の所見が明瞭に現れるはずであるから、山下岩男のじん肺が典型珪肺であつたならむしろ容易にけい肺の症状の決定を受けられたのではないかとも考えられるし、〈証拠〉によれば静岡労働基準局は山下岩男のけい肺の症状決定過程でエックス線所見その他の所見から見て心肺機能が障害されすぎていると疑つていたことが認められ、山下岩男のエックス線写真が他の久根鉱業所のじん肺患者のエックス線写真と違うのではないかと疑つたようすはうかがえない。

したがつて、証人榊原正純の証言をもつて前記推認を覆すに足りず、他に前記推認を覆すに足りる証拠はない。

(五)3及び4(一)で認定した事実又は争いのない事実によれば、杉浦伊三郎は昭和二三年五月から同三九年七月までの約一六年三月の間久根鉱業所で坑内作業に従事し被告古河退職後に旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたものであり、証人榊原正純の証言及び原告杉浦芳子本人尋問の結果によれば、杉浦伊三郎は被告古河退職後約九年間スレートの屋根葺きの仕事に従事しスレートの板を鋸で切つたり穴を開けたりしたこと、しかし、右作業はすべて屋外で行われ屋根葺きの一環として穴開け等をしたもので一日中穴開けばかりしたのではないことが認められるから、杉浦伊三郎のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との間にも因果関係があることが推認される。

証人榊原正純の証言中には「レントゲン写真を見たらじん肺がものすごく進んでいた、久根だけの低濃度遊離珪酸の粉じん職場でできるようなものではなかつた」旨の供述部分があるが、同証人の杉浦伊三郎のじん肺所見に関する供述も右のとおり「ものすごく進んでいる久根だけのではない」「じん肺が進行したことはアスベストを吸つたことではないか」というもので杉浦伊三郎のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との因果関係まで否定する趣旨のものではない。なお、同証人の証言によれば、じん肺健康診断等の結果証明書の裏面「粉じん作業職歴証明書」は医師が記載するものではないが、久根鉱業所閉山後榊原医師の診断を受けた者については同医師から被告古河に送つて記載してもらうこととしていたことが認められるところ、前掲乙第四二号証(杉浦伊三郎の管理四の決定を受ける際提出したじん肺健康診断等の結果証明書)の表面は榊原医師の記載によるものでその裏面には久根鉱業所での粉じん作業職歴しか記載がないから、杉浦伊三郎のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業に因果関係がないと榊原医師が判断していたとすれば、はなはだ奇妙なこととなる。その他前記推認を覆すに足りる証拠はない。

(六)3及び4(一)で認定した事実又は争いのない事実によれば、菅周治は昭和三〇年五月から同四四年一一月までの間約一四年二月久根鉱業所で坑内作業に従事し被告古河退職後に現じん肺法によるじん肺管理区分の管理三合併症肺結核の決定を受けたものであり、〈証拠〉弁論の全趣旨によれば、菅周治は被告古河退職後の昭和四五年六月から同四九年七月までの約四年二月の間株式会社山磯陶土製造所に勤務し工場で陶土用岩石を粉石機に投入したりその機械の清掃をしたりする仕事に従事したが期間的には右工場の勤務に比して久根鉱業所での勤務が三倍以上となることが認められるから、菅周治のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との間にも因果関係があることが推認される。

証人榊原正純の証言中には「陶土はじん肺罹患と関係あるのではないか」との供述部分があるが、これも続けて「陶土に四年間というと、吸つた量にもよるが、久根で何でもなくても(エックス線写真の像)第一(型)くらいにはなるのではないか」と供述しているとおり菅周治のじん肺罹患と久根鉱業所での坑内作業との因果関係を否定する趣旨ではなく、むしろ右供述は、前記山磯陶土での粉じん吸入量が少なければじん肺罹患と山磯陶土での就業は因果関係がなく粉じん吸入量が多かつたとしてもじん肺罹患については久根鉱業所での坑内作業の方がより影響が強いと解せる内容であつて前記推認を裏付けるものといいうる。その他前記推認を覆すに足りる証拠はない。

(七) 以上のとおり、被告古河元従業員はいずれも久根鉱業所で坑内作業に従事して粉じんを吸入し、その結果、じん肺に罹患し旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたと認めることができる。

四安全配慮義務の存在とその内容

1安全配慮義務の存在

被告古河元従業員と被告古河との間に雇傭契約が締結されていたことは原告らと被告古河との間において争いがないから、被告古河は被告古河元従業員に対し、信義則上雇傭契約の付随義務として、被告古河元従業員が労務に従事する過程で生命、健康等に危険を生じないように労務場所、機械その他環境につき配慮すべき義務(安全配慮義務)を負つていたことは明らかである。

なお、右に信義則上の義務といい付随義務といつたからといつて、雇傭契約につき法で明定された本来的給付義務と義務の軽重を生じるものでないことはいうまでもない。

2じん肺対策実施義務の存在

二項3で認定したとおり久根鉱業所では坑内作業員の各作業によつて粉じんが発生し坑内作業員は粉じんに曝されるおそれがあり、また、三項2で認定したとおり金属鉱山における粉じんを原因とする呼吸器疾患としてのじん肺は江戸時代からの知見であつたのであるから、被告古河は、その設立の当初(大正七年)から、安全配慮義務の一内容として被告古河元従業員を含む坑内作業員が粉じんを吸入してじん肺に罹患することがないように総合的なじん肺対策を実施すべきであつたと認めることができ、たとえば、金属鉱山における人身事故の最たるものとしての落盤事故防止に対する要請と同様、じん肺防止は強く要求されるものであつたというべきである。

3じん肺対策の具体的内容

そこで、じん肺対策の具体的内容について検討する。なお、被告古河元従業員(二三名)の坑内作業従事時期は三項3で認定したように別紙八被告古河元従業員作業一覧表の坑内作業従事期間欄記載のとおりで、昭和二〇年八月以降同四五年の閉山までの間に従事した者が一二名、同二〇年八月以前から従事していたが同月以降の従事の方が長くそれが二〇年以上に及ぶ者が四名、同月以前から従事していたが同月以降の従事の方がそれが二〇年には及ばないものの長い者が五名、同月以前から従事しており同月以降も従事しているが前者の方が長い者が二名であるので、じん肺対策の具体的内容についても昭和二〇年八月以降を中心に検討することとする。

(一) 粉じん発生の防止、じん肺健康診断等に関する法令は次のとおりであり、これは公知の事実である。

明治二五年三月に制定された鑛業警察規則は昭和四年一二月一六日商工省令第二一号をもつて改正されたがその際「著しく粉じんを飛散する坑内作業をなす場合においては注水その他粉じん防止の施設をなすべし但しやむをえざる場合において適当なる防じん具を備え鉱夫をして之を使用せしむるときはこの限りにあらず」(第六三条)と規定され、〈証拠〉によれば、右規定は、さく岩機のような著しく粉じんを飛散させる機械を使用するときはさく孔面に注水するとか粉じん発散部位に収じん嚢を使用する等の防じん施設をなすべきであり、それが機械もしくは作業箇所の条件でできないとき又は上向きに手掘さく孔をなす等防じん施設のできない作業のときには防じん具としてマスクを設備し鉱夫に使用させるべきであることを意味することが認められる。鑛業警察規則は昭和二四年八月一二日公布の金属鉱山等保安規則(通商産業省令第三三号)に引き継がれ、同規則では制定当時「衝撃式さく岩機によりせん孔する時は、粉じん防止装置を備えなければならない。但し、防じんマスクを備えた時はこの限りでない」(第二一九条)「坑内作業場において、著しく粉じんを飛散する時は、粉じんの飛散を防止するため散水等適当な措置を講じなければならない」(第二二〇条)との粉じん防止装置備付けの義務、防じんマスク備付けの義務、散水等の義務のほか通気施設設置義務(第八〇条)等が規定され、昭和二七年九月一二日通商産業省令第七五号による改正ではさく岩機の湿式化及び給水が義務付けられ(第二二〇条の二第二項)、発破後の発破箇所への立入りに関する義務(第二二〇条の三)が規定された。昭和二四年の制定時、その後同四五年までの間の改正時の金属鉱山等保安規則の粉じん防止に関する主な規定の内容と変遷は別紙九金属鉱山等保安規則変遷表のとおりである。

じん肺に関しては、昭和五年六月三日に内務省社会局労働部長の通達(労発第一五四号)をもつて「鉱夫同一鉱山又は同一鉱業権者の鉱山に引き続き三年以上就業し珪肺に罹りたる時は業務上の疾病と推定すること」と珪肺が業務上の疾病として正式に認められ、補償を受けられるようになつたが、昭和二四年八月四日の珪肺措置要綱(基発第八一二号)では、同二三年に労働省によりなされた珪肺集団検診の結果に基づき珪肺罹患者を三段階に分け各段階に応じて必要な措置(軽症の要領一の者について保護具の使用、健康管理の実施、労働時間の短縮等、要領二の者について配置転換、健康管理の厳重な実施、重症の要領三の者について療養)を講ずべきことを定めると共に、保護具の備付け、健康診断の実施等が指示された。右要綱は昭和二六年一二月一五日に改正(基発第八二六号)されたが、珪肺罹患者を三段階に分ける基準が詳細化されただけで講ずべき措置の内容は変わらなかつた。

昭和三〇年七月二九日に公布されたけい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法及びこれを引き継いだ同三三年五月七日に公布されたけい肺及び外傷性せき髄障害の療養等に関する臨時措置法では、珪肺罹患者に対する配置転換等の措置、療養給付等の補償が定められたほか、使用者の粉じん作業に常時従事させる労働者に対する就業時及びその後定期の珪肺健康診断実施義務が明定され、更に、昭和三五年三月三一日に公布された旧じん肺法では、粉じん作業に従事する労働者又は労働者であつた者についての健康管理区分の設定とその決定手続、区分に応じた健康管理の方法が定められ、前記各法律と同様のじん肺健康診断実施義務が定められたうえ、じん肺の予防措置として「使用者及び粉じん作業に従事する労働者は、粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるよう努めなければならない」(第五条)こと、「使用者は、常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならない」(第六条)ことが定められた。

なお、旧じん肺法はじん肺の予防措置に関する規定はそのままで昭和五二年七月一日現じん肺法に改正され、同五四年四月二五日にはじん肺を中心とした粉じんの吸入による健康障害を予防するための粉じん障害防止規則(労働省令第一八号)が公布されたが、同規則は、粉じん作業の態様又は粉じんの発散の程度等に応じて粉じん発生源を密閉する設備、湿潤化のための設備、局所排気装置の設置等又は全体換気装置もしくは換気装置による換気の実施、労働者に対する特別教育の実施、作業環境測定の実施、防じんマスク等有効な呼吸用保護具の使用等を事業者に義務づけている。

(二) 〈証拠〉によれば、明治時代から昭和二〇年八月までの間に、じん肺の予防方法として、湿式さく岩機の使用、集じん装置、さく岩機用の収じん装置の使用、発破後相当期間経過後の作業、作業前及び作業中の散水の励行、十分な換気、通気の確保、防じんマスクの使用、労働時間の短縮、定期的な健康診断の実施、じん肺罹患前又は罹患後の配置転換、作業員の自覚心の啓発向上、じん肺、粉じんに関する知識の教育等が文献上しばしば指摘されていたのみならず、医学者、臨床家、専門家の間ではかなり論議し尽くされていたことが認められる。

(三) 原告らが主張する健康診断によるじん肺の早期発見の重要性(請求原因2の3(五)(1))及びじん肺教育の必要性(同2の3(六)(1))については、被告古河も特に争わず、また、首肯しうる内容である。

(四)  以上を総合すれば、昭和二〇年八月以降に被告古河がなすべきじん肺対策の具体的内容としては次のとおりであると認めるのが相当であり、同月以前についても基本的には同様であるということができる。

(1)  粉じんの発生を抑制するために

(ア)  すべての掘進現場、さく孔作業で原則としてできる限り湿式さく岩機を使用し、かつ、湿式さく岩機を湿式として使用できるように坑内の配水を十分確保すべきであつた。

(イ)  湿式さく岩機を使用できない場合は乾式さく岩機に収じん機を使用すべきであつた。

(ウ)  各作業前には作業現場周辺に散水させ、作業中も適宜散水をさせ、かつ、散水用の配水も十分確保すべきであつた。

(2)  坑内には十分な通気を確保し、必要に応じて局部扇風機、風門、風管を設置すべきであつた。

(3)  作業員が粉じんを吸入しないように適切な防じんマスクを支給し、ろ過材等の交換体制を整備し、かつ、マスク着用を指導、監督すべきであつた。

(4)  発破により発生する粉じんを作業員が吸入しないように、昼食時発破や上り発破を原則とし、粉じんが稀釈されるまで作業員を現場に立ち入らせないようにすべきであつた。

(5)  作業員が粉じんを異常に長く吸入しないように定められた労働時間を遵守すべきであつた。

(6)  じん肺健康診断を定期的に実施し、その結果は作業員に通知すべきであつた。

(7)  作業員にじん肺の予防法、健康管理、じん肺の関係法令について教育し、じん肺対策の重要性を周知徹底させるべきであつた。

(8)  作業員が健康管理区分の管理三の決定を受けたときは、当該作業員を粉じん職場から非粉じん職場又は粉じんの少ない職場に配置転換するように努めるべきであつた。

(五) 原告らは、右のほか、労働時間の短縮、出来高賃金制度の見直し、じん肺罹患前の配置転換、退職者に対する健康診断、生活保障等もじん肺対策の具体的内容となると主張するが、労働時間の短縮については、労働基準法等の規定が遵守され労使協定で労働時間が定められる限りはそれ以上の会社側からの一方的な短縮までは要求されないというべきであり、出来高賃金制度の見直しについても、作業の性質上出来高賃金制度自体には合理性が認められるうえ〈証拠〉によれば、久根鉱業所では、出来高賃金制度の基となる基準作業量、標準作業量等は会社側と作業員の連合体との合意により定められたことが認められるから、出来高賃金制度の見直しが会社のなすべきじん肺対策の内容であるとはいえない。

また、(四)に掲げるじん肺対策が十分なされる以上はじん肺罹患前の配置転換もじん肺対策の内容とはいえず、退職者に対する健康診断や生活保障もこれを会社のなすべき義務として認めるのは相当でないというべきである。

五被告古河の債務不履行

右に認定した被告古河がなすべき個々のじん肺対策について、その履行の有無を検討する。

1湿式さく岩機の使用と配水の確保

明治時代の末期に湿式さく岩機が輸入されていたこと、被告古河が昭和一二年に中型の湿式さく岩機「ASD二五」を開発したこと、同二七年九月の金属鉱山等保安規則の改正によりさく岩機の湿式化が義務付けられたが被告古河については同二九年一一月九日まで湿式化猶予期間があつたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 明治三五年には大型の湿式さく岩機が初めて輸入され、大正時代末期には湿式さく岩機使用の必要性が指摘され被告古河以外の鉱山会社の鉱山の中には坑内で使用するさく岩機はほとんどすべてを湿式とする鉱山もあつた。被告古河は大正の初めからさく岩機の国産化を手がけ昭和一二年には中型の湿式さく岩機「ASD二五」を開発したものの、陸海軍、工兵隊の兵器に指定されその全部が徴用された。しかし、同二〇年八月以降は民間で使用できるようになり、小型を含めた従来の乾式さく岩機についても一部部品の交換と注水部品の追加によつて湿式化が可能となりこれが実施された。同二八年三月以前には小型の湿式さく岩機「ASD一八」も開発され被告古河はこれを広く販売していた。この間、昭和二三年一〇月から行われた労働省による珪肺巡回検診(集団検診の一方法)の際示された珪肺撲滅対策要綱でも珪肺発生防止のための粉じんの飛散防止について作業の湿式化を図ることもその一つとして指導され、同二五年八月に改正された金属鉱山等保安規則(通商産業省令第七一号)では硅酸質区域に指定された坑内作業場においては「衝撃式さく岩機を使用するときは、これを湿式型とし、かつ、これに適当に給水」することが義務づけられた(金属鉱山等保安規則の改正とその内容は公知の事実である。)。

これに対し、久根鉱業所では、大正四年から乾式さく岩機を使用し、坑道掘進に使う大型のさく岩機については昭和二〇年八月以前から湿式さく岩機が使用され、徐々に湿式化が進められたが、同二六年八月には湿式さく岩機四種、乾式さく岩機四種(但し、各台数は不明)が使用されていた。昭和二七年九月当時(金属鉱山等保安規則改正時)名合坑では使用さく岩機二六台のうち一台を除き湿式さく岩機であつたが本山坑では使用さく岩機四八台のうち過半数の二六台が乾式さく岩機であり、右はいずれも小型のさく岩機で通気が坑道より悪い採鉱切羽で使用されていた。久根鉱業所では、右以前又は右当時にはさく岩機をすべて湿式として使用することは不可能ではなかつたのに、小型の湿式さく岩機はないとのことで(小型の湿式さく岩機「ASD一八」自体はまだ完全に実用化されていなかつたとしても小型の乾式さく岩機の湿式化のための簡単な注水器は試用されていた。)二年間の湿式化猶予期間(金属鉱山保安規則二二〇条の二の適用除外期間)を得、昭和二九年八月三一日には東京鉱山保安監督部長から同年一一月九日までの右適用除外期間内にさく岩機の湿式化を必ず完了するよう格段の努力をされたいとの書面を受け、東京鉱山保安監督部の管内で適用除外を得た鉱山の中では最も遅く同年九月三〇日までに本山坑、名合坑のさく岩機の湿式化をようやく完了し、以後は湿式さく岩機のみを使用した。

(二) 湿式さく岩機の使用や散水のための坑内の配水については、名合坑では昭和二七年九月までに切羽までのウォーターパイプラインが完備し、坑外のカンパキ沢と名合沢から水を取り坑内の湧水も多かつたためそれも利用しさく岩機用の水量は確保されていた。

本山坑では、昭和二九年九月までは上五番坑、上六番坑の切羽には全く給水がなされておらず、給水がなされている切羽のうちウォーターパイプラインが切羽まで敷設されパイプから直接さく岩機に給水されている切羽は半数であり他はウォーターパイプラインかそれ以外の方法でウォータータンクに給水しウォータータンクからさく岩機に給水されていたが、同三〇年一二月までには全切羽までのウォーターパイプラインが完備し、坑外の大正池と釜川沢から水を取つた。

本山坑、名合坑ともウォーターパイプラインが敷設される前の切羽では坑内の一定の場所に置かれたウォータータンクにまず水を運びそこから更に水を圧搾空気で送つてくるため水は不足しがちであり、本山坑ではウォーターパイプライン完備後も大正池、釜川沢からの水は作業員の社宅や選鉱場等にも配水されていたため坑内の水が不足することがあつた。右のように水不足の場合、切羽では湿式さく岩機でも空くりをせざるをえないときがあつた。

2収じん機の使用

被告古河が昭和二八年に乾式さく岩機用収じん器を開発したこと、右収じん器について「粉じん防止上湿式型さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械」との認定を受けこれを使用することでさく岩機湿式化の適用除外の許可を受けたことは原告らと被告古河の間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四年の鑛業警察規則の改正では粉じん防止施設としてさく岩機に収じん嚢を使用すること等が予定され同五年には被告古河の足尾鉱業所工作係によつて小型さく岩機の刳粉収じん装置が考案された。更に、昭和二八月三月ころには被告古河は数種の収じん器を製作しこれを販売していた。また、昭和二七年九月の久根鉱業所の保安委員会でも「さく岩機が湿式化できないなら収じん器をつければ効果がある、のみのところに濡れたボロをぶら下げただけでも効果がある」等の議論がなされていた。

しかし、被告古河は昭和二七年九月以前は勿論同月以降も収じん機をつけることなく乾式さく岩機を使用させ、「のみに濡れたボロをぶらさげる」等の乾式さく岩機の粉じんを少しでも収めるような方法は特にとらせなかつた。

3散水の実施

ウォーターパイプラインが名合坑では昭和二七年九月までに本山坑では同三〇年一二月までに完備したこと、ウォーターパイプライン敷設前の切羽にはウォータータンク等を利用して水を送つていたこと、しかし、水の全くない切羽があつた時期もあり水不足となることもあつたことは1(二)で認定したとおりである。更に〈証拠〉によれば、名合坑には昭和三五年ころから散水噴霧用のウォータースプレーがあつたことが認められる。

右のとおり十分とはいえないながらも途中から一定の設備は備えられたが、〈証拠〉によれば、散水の指示及び実施についての次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

久根鉱業所では、新しく入つた坑内作業員に対し職種毎に一般的な作業の方法、手順を教育したが、進さく夫、坑夫、運搬夫、支柱夫とも仕事の一手順として作業前、作業中の散水は教えられなかつた。

昭和二四年八月からの鉱山保安法の施行に伴い久根鉱業所では保安規程を制定しこれを全作業員に配布し、また、その後も保安規程を改正した時は改正された保安規程を冊子にして配布していたが、右保安規程ではいずれも、保安係員が注意すべき事項や保安日誌の形式等一般の作業員にとつては直接自分が行うのではない事項、火災や落盤の防止等作業員にとつても関心が強く日ごろから職員からもよく注意を受けている事項についての多数の規程の中に「さん水」が散見されるだけで、到底作業員に散水の必要性を換起するに足りるものではなかつた。昭和二七年ころ配布された職種毎の「金属鉱山等保安規則久根鉱業所保安規程抜萃」の運転夫編では散水の規定が落ちており、昭和三〇年ころ配布された「保安のてびき」でも落盤災害の防ぎ方や墜落災害の防ぎ方等の他の災害の防止についての詳細な規定と共に若干「さん水」が触れられているにすぎず(特に「支柱作業」の注意事項に散水ははいつていなかつた。)これをもつて散水を指示したとはいえないものであつた。

また、同じく鉱山保安法の施行に伴い労使双方から委員が選出されて設置された保安委員会においても、設置当初の昭和二四年から同四〇年ころまでの間、各職種の散水の方法、実施の程度について採り上げられることはほとんどなかつた。

実際に坑内を巡視する保安係員の中には、途中から、さく孔や下積前の散水を具体的に指示する者もあつたが、右のとおり、全体としては散水は重要視されておらずその実施の必要性は十分作業員に浸透していなかつた。

作業員は、散水の重要性を十分理解しておらず、作業を急ぐことや散水により作業がしにくくなるのを嫌つたことがあつて、さく孔作業開始前の岩盤への散水、下積前の破砕された岩石、鉱石への散水、支柱作業前の散水等は量的にも回数的にも十分には実施されていなかつた。

4通気の確保

本山坑及び名合坑の坑道の状況は二項1に認定したとおりであるところ、本山坑では大正一四年に主要扇風機が上七番坑口に設置され局部扇風機が昭和三四年ころに三台、その後一台設置されたこと、名合坑では上二番坑口に主要扇風機が一台設置され局部扇風機が昭和三四年八月までに一台その後二台設置されたこと、局部扇風機からは送風管を使つて切羽へ空気が送られたこと、切羽ではさく岩機用の圧搾空気を吹かすことが行われていたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉によれば、次の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

石炭鉱山においては爆発性ガスを早期に排出する必要があつたため坑道掘進と同時に人工的に通気が図られるのが通常であつた一方、金属鉱山においては爆発性ガスの発生がないため自然通気のままとされているところが多かつたが、この方法では十分通気を確保できないことがあることは大正時代から指摘されていた。本山坑では入気坑道である通洞坑以下の坑道が深くなりかつ温度が高かつたため、大正一四年四月には、排気坑道としていた上七番坑口に排気用の風量毎分一九四五立方メートルのシロッコ型主要扇風機を設置し、強制的に排気を行うことで通洞坑からの入気も十分確保できるように図つた。しかし、通洞坑以下の坑道が深いうえ一つの水平坑道も複雑に分岐しているため十分な通気量と各切羽までの空気の流れ(特に下部の坑道、切羽について)は確保されず、昭和三四年ころまでに空気が一定方向に流れるよう坑内の数箇所に通気扉(風門ともいう。これを設けることによつて流れを遮断する。)を設けたり通気の悪い切羽には局部扇風機と風管(直径約三〇センチメートル、長さ約二、三〇メートルの円筒管)で空気を送り込んだりしたが通気の悪い坑道、切羽は残されていた。通気の改善のため、局部扇風機の増設、不用坑道の閉鎖、また、採鉱切羽を統合して集中的に通気を図ること等も検討されていたが、結局、抜本的な対策はなされていないままだつた。

名合坑でも昭和二九年一月には排気坑道である上二番坑口に排気用の風量毎分一四二〇立方メートルの主要扇風機を設置し本山坑同様の強制排気を図り(右主要扇風機は同四二年三月には同じ風量で馬力の小さいものに変更された。)、通気扉や局部扇風機も設置されたほか、下七番坑には空気が上部に流れるのを助けるため風量毎分六〇〇立方メートルの補助扇風機を設置したが、通気は十分には改善されなかつた。

なお、本山坑、名合坑とも多数の切羽立坑が存し空気の通り道となつていたが、切羽立坑をそのままにしておくことは墜落事故の原因となるため事故防止の観点から使用されない切羽立坑は埋め戻されたり上部の水平坑道面に蓋をされたりした。

また、切羽ではさく岩機使用時以外の時に暑さしのぎのためさく岩機用の圧搾空気を吹かすことがあつたが、これは空気量は増やす反面粉じんを舞い上がらせる結果となつた。エアー吹かしについてはその適否、程度等について作業員は何の指示も指導も受けなかつた。

5防じんマスクの支給

進さく夫、坑夫には防じんマスクが無償貸与されていたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 粉じん作業の際の防じんマスク着用の必要性は、昭和四年の鑛業警察規則改正時から指摘されていたが、久根鉱業所において防じんマスクが支給され始めたのは昭和一八年ころからで進さく夫、坑夫に支給され他の者は手拭いで鼻と口を覆つたりしていた。

昭和二五年一一月二一日に初めて被告古河と古鉱連との間で締結された珪肺協定(正式には「珪肺の暫定措置に関する協定書」)では防じんマスクについて「坑内の日常粉じん作業に従事する者に対して防じんマスクを無償貸与する」等と規定され、同二六年一一月六日の珪肺協定では「さく岩作業に従事する者、支柱及び運搬作業、その他著しく粉じんの飛散する所で作業に従事する者に対し防じんマスクを無償貸与する」等と規定されたが、久根鉱業所における実状は進さく夫、坑夫に対しては専用貸与し、運搬夫に対しては作業員からの申し出があつた時は貸与するというものであつた。昭和二八年一月二三日の珪肺協定では「珪肺発生のおそれある粉じん作業に従事する者に対し防じんマスクを無償で貸与する。防じんマスクの種類、貸与職種、その他細部については事業所毎に組合と協議して決める」と規定され、以後の協定でも同様であつたため、久根鉱業所では貸与職種として「坑夫、進さく夫及び運搬夫で坑夫、進さく夫と組んで作業する場合、その他坑内外共特に粉じんの多い作業の場合」と規定し、従前の実状どおり進さく夫、坑夫に対しては専用貸与、運搬夫に対しては作業員からの申し出があつた時は貸与するという体制が確認された。

したがつて、進さく夫、坑夫に対しては早期に防じんマスクが専用貸与されていた(もつとも、昭和二九年までは乾式さく岩機も使用されていたのであり防じんマスクを支給しなければ鑛業警察規則、金属鉱山等保安規則に反することとなつた。)が、運搬夫、支柱夫に対する防じんマスクの支給はかなり不十分なままであつた。運搬夫に対しては作業員から申し出があれば貸与されたものの、防じんマスクの着用は作業の妨げとなりその重要性が浸透していなかつたこともあつて実際にはそれほど貸与されていなかつた。支柱夫に対しては切上り作業特に粉じんの多い作業の場合作業員から申し出があれば貸与されたものの、運搬夫と同様かそれ以下の実態であつた。また、保安委員会の席上、運搬夫、支柱夫に対しても進さく夫、坑夫同様防じんマスクを支給してもらえないかという要望が出されたが、防じんマスクの無償貸与は進さく夫、坑夫だけという決まりであるから買つてはどうかとの回答があり(昭和二七年)、切上り等の場合には支柱夫もぜひ必要なので全員に貸与してほしいという要望に対しても、全員に貸与することはできない、予備マスクは十分用意するとの回答があつた(昭和二八年)という状況であつた。

(二) 名合坑では昭和四二年七月一〇日から、本山坑では同四三年四月一六日から、さく岩員、運搬員、支柱員の三職種に分れていた仕事を三職種の作業員が組となつて一人一人がすべてを行うクルーシステムが導入され、このころは作業員の数が減つたこともあつて、右の作業員全員に防じんマスクが貸与されるようになつた。

(三) 防じんマスクの数自体も不足していた時期があり、たとえば、昭和二八年三月当時坑内作業員の総数は三六一名であつたのに対しマスクの数は一七六であり、同三一年四月当時坑内作業員の総数は四五五名であつたのに同年二月ころのマスクの数は二七四(この中には係員用、坑外作業員用のものも含む。)であつた。

(四) 被告古河が採用していた防じんマスクはいずれも重松製作所製のものであつたが、昭和二五年までは重松式二号、重松式七号というマスクでこれはろ過罐が着用した時口の前にくるのでその格好から「ブタマスク」と呼ばれていた。同二六年からはTS式七号(重松式七号)とろ過罐が二つついていて着用した時口の両側にくるTS式一〇号が採用され、以後TS式一〇号を主にこれと共にTS式七号、TS式二号、TS式一五号が時期によつて併用された。昭和四〇年ころTS式一〇号が改良されたTS式DR一二号、TS式DR一七号が試用されたことがあつたが、閉山までに本格的に使用されるに至らなかつた。

防じんマスクに関しては昭和二五年一二月から国家検定が実施されており、被告古河が採用してきた防じんマスクはいずれも国家検定の合格品であつた。

しかし、被告古河の防じんマスクの採用は新しい性能のよいマスクが販売されてもいつも遅れがちで、たとえば、国家検定の改正された昭和三〇年四月ころサカイ式二号B型というろじん効率九六パーセント、吸気抵抗一〇・八ミリメートル、重量八〇グラムの国家検定第一種合格品のマスクがあつたのに採用されていたのはろじん効率九一・九パーセント、吸気抵抗一一・七ミリメートル、重量二〇四グラムのTS式一〇号(国家検定第二種合格品)であり、重松製作所から同三一年四月には静電ろ層を使用したろじん効率九九・五パーセント、吸気抵抗六・二ミリメートル、重量一九五グラムというTS式一〇号E型(国家検定第一種合格品)が販売されていたのにこれが採用されたのは同三五年以降であつた。TS式DR一二号についても本格的に使用されるまでに至らなかつた。

(五) 防じんマスクの耐用期間については本体が時期によつて六か月ないし一年、ろ過材が六か月と定められており、ろ過材の交換は耐用期間内でも申し出れば交換してもらうことができたが六か月は長きにすぎ、また、一律に一定期間が過ぎたら交換する体制はとられておらずすべて作業員任せにされていた。

(六) 以上のような不十分なマスクの支給体制、選定に加え、新しく入つた坑内作業員に対し職種毎に一般的な作業の方法等を教育する際、進さく夫、坑夫に対してもキャップランプは携帯品にはいつても防じんマスクは携帯品として教えられておらず、「保安のてびき」中でも防じんマスク着用の規定は極めて簡単で「保安規程」中でもじん肺防止のための防じんマスク着用との注意を換起しうる形の規定ではなくこれらをもつてマスク着用を周知徹底させたとはいえないものであつた。

坑内を巡視する保安係員の中には防じんマスクを着用していない進さく夫、坑夫に対し着用するよう注意を与える者もいたが、マスク着用の督励は不十分で閉山に至るまで防じんマスク着用の必要性は結局徹底されず、着用しない風潮が完全には改まらなかつた。

(七) 防じんマスク着用が徹底しない最大の理由は坑内の高温多湿にあつた。防じんマスクよりはるかに基本的な衣服の着用についてすら、昭和二四年の保安委員会開始以来裸作業禁止がたびたび問題にされ作業着の工夫等が考えられたのに閉山に至るまで裸作業をなくすことができないような環境であつた。

6発破方法の改善

本山坑では昼食事発破と上り発破が、名合坑では上り発破のみが行われたこと、定時発破のほかに途中発破として玉石発破が行われたことは原告らと被告古河との間において争いがない。

更に〈証拠〉によれば、名合坑では三の方制がとられ一の方の時間帯に運搬夫、支柱夫が、二の方の時間帯に進さく夫、坑夫がそれぞれ勤務し、三の方の時間帯に進さく夫、坑夫中の発破係が発破をかけたため、発破後一の方が入坑するまでに四時間程度の時間があり作業員が発破による粉じんに曝されることはほとんどなかつたこと、本山坑では一の方制(一の方の勤務時間にだけ全作業員が勤務する。)又は二の方制がとられ二の方制の時は一の方の時間帯に運搬夫、支柱夫が、二の方の時間帯に進さく夫、坑夫がそれぞれ勤務したため、上り発破では発破後新たに作業員が入坑するまでにかなりの時間があつたが、昼食後発破では仕事の都合で食事を急いですませ粉じんが収まらないうちに切羽に戻ることもあつたこと、途中発破としての玉石発破はしばしば行われたわけではないがこの時は粉じんが収まらないうちに切羽に戻ることが多かつたこと、新入の坑内作業員に対する教育基準では発破後切羽に戻るまでの時間は三〇分以上たつてから、電気発破の時は五分以上たつてからと定められていたにすぎなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

7労働時間の遵守

久根鉱業所における勤務時間は一の方が午前七時三〇分から午後三時まで二の方が午後二時三〇分から午後九時までと定められていたことは原告らと被告古河との間において争いがないところ、〈証拠〉によれば、久根鉱業所では「遣切り仕舞」という一定の作業を終えたならば勤務時間の定めにかかわらず退坑してかまわない制度があつた一方で、時期によつては、二、三時間の残業が常態化していた時もあつたこと、とりわけ、支柱夫に関しては立坑の修理や坑道の留直し等が残業として行われていたこと、公休日の出勤もしばしば行われていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

8健康管理

昭和三五年の旧じん肺法施行後同法の定めるじん肺健康診断が行われたことは原告らと被告古河との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 昭和二〇年八月ころ久根鉱業所には診療所が設置されており、同二二年四月に労働基準法が制定された後は粉じん作業従事者に対し年二回の一般健康診断が実施されたが、同二八年一月に榊原医師が赴任してくるまでは戦後ずつと内科医もおらず設備も貧弱であつたから、じん肺の早期発見に資するような健康診断は何らなされようがなかつた。昭和二三年に労働省により珪肺集団検診が行われる際、エックス線間接撮影装置その他珪肺検診に必要な施設を有する鉱山(二四鉱山)については現場の医師に委託して検診が行われたが、久根鉱業所にはその施設がなかつたため機械を持つてきて行う巡回検診の対象とされた。

昭和二〇年八月以前にはじん肺について健康管理面からの配慮は全くなかつた。

(二) 昭和二八年一月に榊原医師が赴任しその前年レントゲン装置が買い替えられてからは、一般健康診断の中でも必要に応じてエックス線直接撮影や肺活量の検査等が行われ、じん肺罹患者が発見されることがあつたが重症になつてからであつた(たとえば、高柳政治は昭和二八年九月二一日に珪肺措置要綱の要領三の症状が確認された。)。

(三) 昭和三〇年のけい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法制定後、久根鉱業所では同年から法定のじん肺(珪肺)健康診断が行われることとなり、粉じん作業に常時従事する作業員について三年に一回、第二症度及び第三症度の珪肺にかかつている者(旧じん肺法下においては「健康管理の区分が管理二又は三である者」)については一年に一回、一次的に胸部エックス線直接撮影と胸部に関する臨床医学的検査、二次的に心肺機能検査、結核精密検査か行われ、被告古河元従業員(昭和三〇年より前に退職した者を除く。)もこのじん肺健康診断を受けた。

しかし、作業員にとつてはエックス線直接撮影と間接撮影の区別は明瞭でなく何故一般健康診断と異なる健康診断を行うかも十分理解されていなかつた。

(四) 昭和三五年の旧じん肺法に基づくじん肺健康診断の後、健康管理区分の決定通知が労働基準局からあつたときは、管理四以外では、管理区分、じん肺健康診断の結果、療養の要否を印した通知書を各個人宛に作成し封筒に入れ、作業員が入坑時に提出し退坑時に返却を受ける就業の証(「判座帳」「判座手帳」と呼ばれていた。)に挾んで交付し、健康管理区分を知らせていた。

9じん肺教育

粉じん発生抑制のための散水、粉じん吸入防止のための防じんマスクの着用についての指示、指導が不十分なものであつたことは3及び5に認定したとおりであるところ、右を含め、〈証拠〉を総合すれば、作業員に対するじん肺の危険性及びその防止策の周知徹底の程度は次のとおりであつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 久根鉱業所においては、保安教育は落盤事故、墜落事故から軽い捻挫事故に至るまでの労働災害事故、外傷事故を防止することが主眼であつた。

すなわち、全坑内作業員に配布された「保安規程」、「保安のてびき」でも労災事故防止に重点が置かれていたし、昭和二四年から開催された保安委員会でも毎回重傷軽傷を含め労災事故の回数、態様が報告されその防止策が主に検討されていた。昭和四〇年代でも坑内には墜落の危険がある箇所が多く十分な防止策がとられていなかつたし、浮石払いはたびたび注意をしなければならない状態であつたから、労災事故防止を重視しないわけにはいかなかつた。

久根鉱業所で発行していた「久根鉱山」新聞でも労災事故を指摘したり結核について触れられるのに比べじん肺は疎かに扱われており、じん肺が採り上げられる時もその防止策より罹患後の補償に重点があつた。

労災事故防止に重点が置かれていたことは保安週間等でも同様であつたし坑内の警標も同様であつた。

(二) 病気の中でもじん肺に対する関心は薄く、作業員に配布された「健康手帳」でも高血圧、糖尿病等の予防、自覚症状の記載はあつても、じん肺の記載は全くなかつた。

(三) 新入の坑内作業員に対する教育基準では、指導鉱員の新入者に対する態度として「恐怖心を起させるようなことはしない(過去の災害の状況など言わないこと)」とされていた。

(四) 昭和四一年に保安委員会から衛生委員会が分けられてからは、衛生委員会では健康診断のたび毎にじん肺罹患者の統計表を作つたりじん肺のエックス線写真上の所見について勉強する等じん肺に関し従前以上の関心が払われたが、それが必ずしも作業員の教育につながらなかつた。

10配置転換

配置転換に関して債務不履行の有無をみるには、被告古河元従業員のうち被告古河在職中に旧じん肺法の健康管理区分の管理三の決定を受けた者について被告古河が配置転換を怠つたか否かを検討すれば十分であるのでこれを検討する。

〈証拠〉によれば、原告木下勇は昭和三七年五月の申請及び同年一二月ころの申請で管理三の決定を受けたが会社からは配置転換の勧告等は一切なく原告木下自身管理三の意味を十分知らされていなかつたために配置転換を申し出ることもなく進さく夫として働き続けたこと、同人については同三九年二月の申請では管理二の決定を受けたこと、その後原告木下は同四二年三月の申請で再度管理三の決定を受けたがこの時はすでに前年に現場で技術指導等にあたる職長に変わつていたこと、原告日名地九一は昭和四一年五月の申請で管理三の決定を受けたが会社からは配置転換の勧告等は一切なく原告日名地から配置転換を申し出ることもなく進さく夫として働き続けたこと、同人については翌四二年三月の申請では管理二の決定を受けたこと(しかし、同年一二月には管理四の症状が確認された。)、原告田口孝平は昭和三七年五月の申請及び同四〇年三月の申請で管理三の決定を受けたが、同人は同三七年二月に一旦被告古河を停年退職し翌三八年五月から切羽にはいることが少ない常用夫として再雇傭されていたこと、同人については同四一年五月の申請では管理一の決定を受けたこと、原告鈴木三雄は昭和三七年五月の申請で管理三の決定を受けその時は機械修理、配管等の「楽な仕事」に配置転換を受けたこと、同年一二月の申請では管理一の決定を受けたため進さく夫に戻つたこと、しかし、同四〇年一一月の申請で再度管理三の決定を受け製材係に配置転換を受けたことが認められる。

旧じん肺法における配置転換の規定自体は、「都道府県労働基準局長は、健康管理の区分が管理三である労働者が現に常時粉じん作業に従事しているときは、使用者に対して、その者を粉じん作業以外の作業に常時従事させるべきことを勧告することができる。使用者は、前項の勧告を受けたときは、当該労働者を粉じん作業以外の作業に常時従事させることとするように努めなければならない。」というものであつたが、じん肺の特質を考慮すると、被告古河は法による勧告を受けるまで何もしなくともよいとはいえず、原告木下勇及び原告日名地九一についての対応には不十分なものがあつたというべきである。

六被告古河の責任

五項で認定した各事実によれば、被告古河がさく岩機の湿式化や防じんマスクの支給、じん肺健康診断の実施等において努力した部分があることは認められるが、金属鉱山におけるじん肺が実に古くからの知見であり、とりわけ、被告古河にとつては足尾鉱山につき既に明治時代に呼吸器病の調査がなされていることも考え併せると、被告古河がじん肺防止のため尽くすべき安全配慮義務は高度なものであつたというべきである。そうすると、右のさく岩機の湿式化や防じんマスクの支給においてすらまだ尽くすべきであつた部分は残つており、まして、通気の確保にはかなり改善の余地がありながら放置され、保安教育についても直接的な外傷防止にのみにとらわれず緩慢に症状の現れるじん肺の防止に対してもより一層関心を払い作業員に周知徹底を図るべき事柄は多数あつたものであり、その他じん肺対策の実施の程度も不十分であつたのであるから、被告古河は、じん肺防止のための安全配慮義務を尽くさなかつたものといわざるをえない。

三項で認定したとおり、被告古河元従業員はいずれも久根鉱業所で坑内作業に従事して粉じんを吸入してその結果じん肺に罹患したのであるから、被告古河の右債務不履行によりじん肺に罹患したというべきであり、したがつて、被告古河は、債務不履行責任として被告古河元従業員がじん肺罹患により被つた損害を賠償すべき義務がある。

(被告間組の責任)

一当事者

請求原因1(一)の事実は、原告植杉と被告間組との間において争いがない。

二原告植杉の作業歴と作業環境

1原告植杉の作業歴

請求原因3の1の(一)の事実(原告植杉の被告間組又は宮建設株式会社における作業歴が原告植杉主張の表のとおりであること)は、原告植杉と被告間組との間において争いがない。

2トンネル掘削作業の概要

(一) トンネル掘削の方法につき地山の地質が堅い岩石で組成されている場合のトンネル掘削が①さく孔②発破③ズリ搬出④支保工建込みの順序で行われること及び坑夫がその全作業を行うことは原告植杉と被告間組との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、トンネル掘削は、一般に①さく岩機による岩石のさく孔②刳つた穴に火薬を充填し岩石を破砕する発破③破砕された岩石(ズリ)の車両等による坑外への搬出④コンクリート巻立てまでの間に掘削した部分が崩れないように空洞に鋼材、木材、板等で堅枠を組み立てる支保工建込みの繰返しで行われ、坑夫は右の全作業を通常行うこと、地質が柔らかく火薬を使えない場合はピックと称する先の尖つたのみで掘る方法も採られたこと、坑夫はエアー鉄管(さく岩機を動かすための圧縮空気をコンプレッサーから送る鉄管)、給水鉄管(さく岩機用の水を送る鉄管)、風管の延長も担当したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) トンネル掘削の工法には在来式工法、半断面式工法、全断面式工法があること及びその内容は原告植杉と被告間組との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、トンネル掘削の工法及び原告植杉が従事したトンネル掘削工事の具体的方法につき次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) トンネル掘削の工法には、トンネル断面の中央下部(「第三導坑」又は「底設導坑」と称する。)を第一に掘削し、更にその上の中央(「中割」又は「中割導坑」と称する。)、更にその上(「第一導坑」又は「頂設導坑」と称する。)を順次掘削しその後第一導坑の両側(「丸型」と称する。)、中型の両側(「中背」と称する。)、第三導坑の両側(「土平」と称する。)を順次切り拡げ全断面掘削後コンクリート巻立て工事を施行する底設導坑先進工法(在来式工法、上半分だけ先にコンクリート巻立て工事を施行することもある。)、トンネルの最終掘削断面の上半分を先に掘削しコンクリート巻立て工事を施行し次に下半分を掘削しコンクリート巻立て工事を施行する上部半断面先進工法(半断面式工法)、トンネルの最終掘削断面の下半分の両側をまず掘削しコンクリート巻立て工事を施行し次に上半分を掘削しコンクリート巻立て工事を施行し最後に下半分の中央部分を掘削する側壁導坑先進工法、トンネルの最終掘削断面全部を一度に掘削しコンクリート巻立て工事を施行する全断面掘削工法等が存し、全断面掘削工法は地山の地質がよいところで採用され、地質が悪くなるに従つて上部半断面先進工法、底設導坑先進工法、側壁導坑先進工法が採用された。

(2) 原告植杉が従事したトンネル掘削工事の工法と従事した箇所は別紙一〇原告植杉トンネル掘削工事従事一覧表の掘削の工法欄及び従事箇所欄記載のとおりである。

3トンネル内の作業環境

トンネル掘削におけるさく孔時、発破時、ズリの積込時に粉じんが発生する可能性があることは原告植杉と被告間組との間において争いがなく、右争いのない事実に〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、原告植杉が従事したトンネル掘削工事現場ではすべて湿式さく岩機が使用されていたが、一切羽に複数の(多い時は一二台の)さく岩機が使用されたため一度に使用すると目に見える程粉じんが発生し、給水が十分でない場合は湿式であつても空くりせざるをえずその時はかなりの粉じんが発生し坑夫はこれに曝されたこと、発破時には最も多量の粉じんが発生したが坑夫は通常坑内にいたままで発破箇所から一定距離退避したにすぎず、また、短時間で切羽に戻る時は稀釈されない多量の粉じんに曝されたこと、ズリ出しはロッカーショベルとグランピー(鋼車の一種)でなされることが多く原告植杉が従事したトンネル坑内は一般に湿潤であつたためズリ積込時に多量の粉じんが発生することは少なかつたこと、しかし、さく孔や発破で発生した粉じんは完全に除去されることはなく常に坑内には粉じんが浮遊していたことが認められる。

三原告植杉のじん肺罹患

1じん肺の病像

請求原因2の2の(一)の事実のうちじん肺が粉じんを吸入することにより生ずる肺疾患で肺の線維増殖性変化を主体とすること及び進行に伴つて肺機能低下をきたすことは原告植杉と被告間組との間において争いがない。

右のほか、じん肺の病像に関しては被告古河の責任三項1に認定したとおりである(なお、書証の成立については、甲第一六五号証が成立に争いがなく甲第一六三、第一六四号証が原本の存在とその成立に争いがないほかは被告古河に関してと同様である。)。

2トンネル坑夫のじん肺

〈証拠〉によれば、じん肺は江戸時代から金属鉱山における「よろけ」という職業病として知られており、明治時代になつてからも金属鉱山における呼吸器疾患の多発、その原因としての粉じんの存在、粉じん対策の必要性が指摘され続け、第二次世界大戦後の昭和二三年には労働省によつて金属鉱山の労働者を対象とする珪肺の集団検診が行われたこと、しかし、金属鉱山のみでなくトンネル掘削に際しても掘削に伴つて発生する粉じんによつて線維増殖性変化の強い典型珪肺又は線維増殖性変化は弱いが心肺機能は高度に障害される非典型珪肺が発生するおそれがあること、そして、トンネル掘削によるじん肺発生のおそれは遅くとも昭和一三年には指摘されており、前記珪肺集団検診のきつかけの一つであつた昭和二三年四月に出された金属鉱山復興会議の衆参両院議長宛て「鉱山労働者のけい肺対策に関する建議書」の中でも「珪肺の発生は金属鉱山のみ限局しているのではない。珪肺発生の特殊原因である珪肺粉じんを発生する労働の部署に広範囲に存在する。すなわち全国に散在する採石事業場、陶磁器製造、金属又は他のサンドブラスト業、窯業、トンネル開さく事業場、珪酸含有磨粉製造その他あらゆる珪酸含有粉じん発生産業、工程の膨大なる数にのぼる労働者が危険環境中に労働している」と触れられていること、労働省によつて行われた珪肺集団検診は前記のとおりまず金属鉱山労働者を対象としたが逐次その範囲を拡大し昭和二八年には開さく土建業一六事業場二三三人を対象として検診が行われたこと、昭和四〇年代には一方で金属鉱山は閉山が相次ぎ他方トンネル掘削は新幹線建設等でますます盛んで掘削距離の長いものとなつたこともあつて同五一年には一年間にトンネル掘削に従事したことによつて旧じん肺法の健康管理区分の管理四の決定を受けた者が金属鉱業に従事したことによつて右管理四の決定を受けた者の数を上回つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右のとおり、トンネル坑夫のじん肺罹患は決して最近になつて注目され出したものでもなく、また、今日ではトンネル掘削はじん肺罹患のおそれのある典型的業種ともいいうるところ、〈証拠〉によれば、トンネル坑夫のじん肺罹患については、労災認定時の年齢が他の産業に比べて若年に偏している、労災認定に至るまでの粉じん作業年数が短い、離職事由に身体の悪化を挙げる者が特に多い、労災長期給付受給者の毎年死亡率が他の産業より高い等の特徴があると指摘されていることが認められる。

3トンネル掘削作業従事と粉じんの吸入

原告植杉が昭和二八年九月から同四九年五月までの間に被告間組又は宮建設株式会社のもとで合計一一年一月トンネル掘削作業(但し、うち一月はトンネル内の清掃作業)に従事していたことは二項1のとおりであり、右事実と同項3で認定したトンネル掘削時の粉じんの発生、曝露のおそれの事実によれば、原告植杉は右トンネル掘削作業従事の期間中粉じんに曝されこれを吸入したことを認めることができる。

4原告植杉のじん肺罹患とトンネル掘削作業との因果関係

請求原因3の2の(四)の事実のうち原告植杉が昭和四九年一二月二八日に旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたことは原告植杉と被告間組との間において争いがなく、右事実によれば原告植杉がじん肺に罹患したことも明らかである。

二項1のとおり原告植杉は合計一一年一月間被告間組又は宮建設株式会社のもとでトンネル掘削作業に従事したものであり、原告植杉次郎本人尋問の結果(第一回)によれば、原告植杉は昭和二八年八月以前には粉じんの生ずる作業に従事したことはないこと、被告間組又は宮建設株式会社のもとでトンネル掘削作業に従事する合間の昭和三五年七月から同三六年一二月まで大成建設株式会社が請け負つた愛知用水トンネル掘削工事現場で同三九年四月から同四一年三月まで同社が請け負つた別子ダム建設工事現場で同四四年三月から同四五年六月ころまで同社が請け負つた法華津トンネル掘削工事現場で(合計約四年一〇月)稼働したが右稼働中いずれもさく孔、発破かけを主とするトンネル掘削作業に従事したことはないこと、それ以外昭和四九年三月までの間に粉じんの生ずる作業に従事したことはないこと、昭和四九年六月初めころ咳、痰、呼吸困難、動悸等じん肺の典型的な自覚症状に苦しめられ自ら坑外の仕事への配置転換を申し出その後すぐにじん肺罹患が確認されたことが認められるから、原告植杉のじん肺罹患と被告間組又は宮建設株式会社のもとでのトンネル掘削作業との間に因果関係があることが推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。

すなわち、原告植杉は被告間組又は宮建設株式会社のもとでトンネル掘削作業に従事して粉じんを吸入し、その結果、じん肺に罹患し旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたものと認められる。

四安全配慮義務の存在とその内容

1安全配慮義務の存在

請求原因3の3の(一)の事実のうち原告植杉と被告間組との間に請求原因3の1の(一)の表の1ないし7の従事期間欄記載の各期間雇傭契約が締結されていたことは原告植杉と被告間組との間において争いがなく、被告間組は原告植杉に対し、右各雇傭契約が締結されていた間、信義則上右各契約の付随義務として、原告植杉が労務に従事する過程で生命、健康等に危険を生じないように労務場所、機械その他環境につき配慮すべき義務(安全配慮義務)を負つていたことは明らかである。

なお、〈証拠〉によれば、坑夫の工事現場毎の募集は被告間組の班単位になされ坑夫の作業への配置や基準賃金額は班長が決定し個別具体的な作業上の指図は班長、その下の大世話役、世話役からなされていたことが認められるが、〈証拠〉によれば、各工事現場で使用する機械類、防じん設備を含む各種設備類は被告間組が決定、調達し、工法も注文者と協議のうえ被告間組が決定し、安全週間、衛生週間の行事、健康診断は被告間組が企画、実行し、被告間組の職員が毎日現場を巡回していたこと及び坑夫の標準賃金額は被告間組の工事主任と班長の間で事前に相談して決定のうえ坑夫に対し説明がなされたことが認められるから、安全配慮義務の実質的根拠となる使用従属関係が原告植杉と被告間組との間に存したことも明らかである。

2宮建設株式会社の被傭者たる原告植杉に対する安全配慮義務の存在

請求原因3の3の(二)の事実のうち原告植杉と被告間組の下請会社である宮建設株式会社との間に請求原因3の1の(一)の表の8及び9の従事期間欄記載の各期間雇傭契約が締結されていたことは原告植杉と被告間組との間において争いがない。

証人守田昌介の証言によれば、宮建設株式会社は被告間組の中に包摂されていた宮川班が会社化されたものであることが認められるところ、〈証拠〉によれば、宮川班が宮建設株式会社と会社化された後も工事現場で使用する機械類、設備類を原則的に被告間組が決定、調達し、工法を被告間組が注文者と協議のうえ決定し、安全週間の行事等を被告間組が企画、実行し、被告間組の職員が毎日現場を巡回する態勢は全く変わらなかつたこと及び坑夫の標準賃金の決定方法にも変わりはなかつたことが認められるから、安全配慮義務の実質的根拠となる原告植杉と被告間組との間の使用従属関係は従前と同一であつて、直接の雇傭契約がないとはいえ、被告間組は原告植杉に対し、右使用従属関係に基づき信義則上1と同様の安全配慮義務を負つていたというべきである。

3じん肺対策実施義務の存在

二項3で認定したとおり原告植杉が従事したトンネル掘削工事現場では主にさく孔、発破によつて粉じんが発生し坑夫は粉じんに曝されるおそれがあり、また、三項2で認定したとおりトンネル坑夫のじん肺罹患のおそれは遅くとも昭和二三年には十分一般に知られたことであつたのであるから、被告間組は、原告植杉が被告間組のもとでトンネル掘削作業に従事し始めた昭和二八年九月当時には、安全配慮義務の一内容として、原告植杉を含むトンネル坑夫が粉じんを吸入してじん肺に罹患することがないように総合的なじん肺対策を実施すべきであつたということができる。

4じん肺対策の具体的内容

(一) 金属鉱山に関する粉じんの発生の防止、じん肺健康診断等に関する法令の内容は被告古河の責任四項3(一)に説示したとおりであり、明治時代から昭和二〇年八月までの間に文献上指摘された金属鉱山におけるじん肺の予防方法の内容も同四項3(二)で認定したとおりである。

なお、右のうち、珪肺措置要綱は金属鉱山にのみ関するものではなく労働省により珪肺検診が実施された時その結果の取扱いを定めたものであるから、三項2で認定したとおり開さく土建業の従事者に対しても右珪肺検診が実施されている以上トンネル坑夫をも対象としているといえ、けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法も珪肺健康診断を要する粉じん作業の一つとして「土木建設業における岩石の掘さくもしくは破砕を行う場所における作業又は坑内における土石の掘さく、破砕、積込もしくは運搬の作業」を掲げており以後の法律がトンネル掘削作業を対象としていたことは明らかである。

(二) 被告間組は昭和五四年四年に粉じん障害防止規則が制定されるまでは同規則で法定された防じん対策の実施は安全配慮義務の内容とはなつていなかつたと主張するが、およそ法令で規定されるまでは法令の内容が私人間の債務の内容とはなりえないとは到底いうことができず、むしろじん肺に関しては三項2で認定したとおり金属鉱山において古くからの知見でありその防止策について種々指摘され(一)のとおり金属鉱山に関しては法令も存したのであるから、トンネル掘削においても金属鉱山におけると同様じん肺発生のおそれがあると判明した後は金属鉱山に関するじん肺対策を積極的に取り入れるべきであつたというべきである。

(三)  右に照らすと、昭和二八年九月以降被告間組がなすべきじん肺対策の具体的内容は次のとおりであると認めるのが相当である。

(1)  粉じんの発生を抑制するために

(ア)  さく孔作業では湿式さく岩機を使用し、かつ、湿式さく岩機を湿式として使用できるようにすべての掘削現場で給水設備を完備し十分な水量を確保すべきであつた。

(イ)  さく孔作業前及びズリ出し作業前には必要に応じて岩盤等に散水をさせ、かつ、散水用の水量も十分確保すべきであつた。

(2)  ターボブロワー、ファン、風管等の換気設備を設置し坑内の換気をできる限り図るべきであつた。

(3)  坑夫が粉じんを吸入しないように適切な防じんマスクを支給しろ過材等の交換体制を整備し、かつ、マスク着用を指導、監督すべきであつた。

(4)  発破により発生する粉じんを坑夫が吸入しないように発破後の換気を特に強力に行わせ、かつ、粉じんが稀釈されるまで坑夫を現場に立ち入らせない態勢をとるべきであつた。

(5)  坑夫が粉じんを異常に長く吸入しないように八時間労働を遵守すべきであつた。

(6)  じん肺健康診断を定期的に実施し坑夫全員に受診させ、かつ、その結果は坑夫に通知すべきであつた。

原告植杉の被告間組又は宮建設株式会社での就労でも明らかなように、トンネル坑夫は一つの工事現場毎に採用されてはその工事現場の仕事が完成すると解雇され工事現場を転々とするのが常であつたから、右就労形態に合わせたじん肺健康診断を実施すべきであつた。

(7)  坑夫にじん肺の予防法、じん肺の関係法令について教育し、じん肺対策の重要性を周知徹底させるべきであつた。

(8)  坑夫が健康管理区分の管理三の決定を受けたときは、当該坑夫を粉じん職場から非粉じん職場に配置転換するように努めるべきであつた。

五被告間組の債務不履行

被告間組がなすべき個々のじん肺対策について、その履行の有無を検討する。

さく岩機に関し被告間組の各現場ではさく岩機は湿式さく岩機が使用されていたこと、水量の確保に関し高根で冬期に気温が下がり給水管が凍結することが一回はあつたこと、防じんマスクの支給に関し各現場で坑夫にはすべて防じんマスクが支給されたこと、最初に支給される防じんマスクは無償であつたこと、坑夫はさく孔作業の際は防じんマスクを着用することができたこと、換気設備に関し被告間組が設置した換気設備はファン(扇風機)、ビニール風管、スパイラル風管、現場によつては更にターボブロワーであつたこと、高根の放水路立坑、放水路斜坑の掘削及び新豊根の放水路立坑の掘削では換気設備が設置されなかつたこと、黒四でも換気設備が設置されなかつたこと、労働時間に関し関ケ原では一時期三交替制の突貫工事が行われたこと、じん肺健康診断に関し佐久間、奥兄見、御母衣、黒四ではじん肺健康診断は全く行われなかつたことは原告植杉と被告間組との間において争いがない。

右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、証人吉沢正洋、同平田嘉煕、同木下正也、同渡辺亮三、同福富晋作及び同守田昌介の各証言中右認定に反する供述部分は、証人木下正也は給水管の凍結という重大な事項に関する供述の変遷に照らし、証人福富晋作はじん肺罹患者の健康管理区分の決定について全く不知であること等に照らし、証人守田昌介は本訴提起後の原告植杉への接触の態度(原告ら訴訟代理人の、原告植杉宅を訪れ暗に取下げを迫つたのではないかとの尋問に対し、同証人は「それは取りかたですからなんとも申しあげられません」と答えている。)等に照らし、また、いずれも前掲各証拠に照らし、たやすく措信することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1被告間組は原告植杉が従事したすべてのトンネル掘削現場で湿式さく岩機を使用していたが、実際の使用では水が十分に確保されず空くりが容認されることがあつた。

関ケ原ではそもそも水が十分確保されなかつたうえ確保された水も道路の散水やコンクリートを練るバッチャープラント用に使われ、掘削当初の一時期を除き後は空くりのままさく孔が強行された。黒四、高根では工事現場が高所にあつたため冬期は地上部分の給水管が凍結するおそれがあつたのに十分な凍結防止策がとられず、このため実際に給水管が凍結し切羽まで水が供給されないことがあつたが、その時も空くりでさく孔は続けられた。

また、高根、新豊根の放水路立坑掘削では、坑夫は仕事の能率上水を使用しないでさく孔を行つていたが、空くりに対して被告間組からは何の注意も与えられなかつた。

2佐久間、関ケ原、新豊根は湧水、滴水の多い現場で発破後のズリに散水は必要なかつたが、それ以外の現場でも作業前の散水は指示されず坑夫は一切散水を行つていなかつた。

3黒四のトンネル掘削、高根の約二〇メートルの放水路立坑掘削及び約六〇メートルの放水路斜坑掘削(いずれも四本)、新豊根の約六〇メートルの放水路立坑掘削(二本)では換気設備が必要な長さ、規模であるにもかかわらず換気設備が全く設置されず、さく孔時、発破時の粉じんの除去は極めて不十分であつた。

右以外の現場又は掘削箇所では、主として、切羽から約五〇メートル後方にプロペラファン又は軸流ファンと称する吸じん用扇風機を設置しこれにビニール風管、スパイラル風管等の風管を接続して坑口にまで至り切羽付近の空気を坑外へ排気するという換気法をとつていたが、発破時に扇風機が壊されないように、また、一々撤収する手間を省くために右のとおり扇風機は切羽から離れた位置にあつたためその換気効果はわずかなものでしかなかつた。切羽が進むにつれての風管の延長、扇風機の移動及び風管、扇風機が壊れた場合の補修は坑夫の担当とされていたが、坑夫は本来のさく孔、ズリ出し等で忙しくこれらは疎かにされることがあり、それに対し被告間組から注意や指示はなかつた。

4原告植杉は佐久間では途中から、その他のトンネル掘削現場では初めに各一個の防じんマスクを無償で支給を受けた。しかし、二個目からのマスクは有償であり、マスクやろ過材の交換について何のきまりもなく一切坑夫の任意にされた。

マスク着用の必要性は何ら説明されず、原告植杉ら坑夫はさく孔時にはマスクを着用していたもののその他の時には笛等で合図をする都合があつたり息苦しさのためマスクを着用していなかつたがマスクを着用するようにとの指示は全くなかつた。

5各トンネル掘削現場では、原則として、さく孔から支保工建込みまでを一サイクルとし現場によつて二サイクル又は三サイクルがノルマ化していたので、発破を坑夫の退坑時にかける(上り発破)ということは行いようもなくほとんど行われていなかつた。

坑夫は立坑掘削の時以外は発破時にも坑内に留まつたままで切羽から数十メートルないし一〇〇メートル位離れた所に退避し、発破後退避した所からの操作で切羽にあるエアー鉄管から圧縮空気を放出するか又は立坑の場合は上からエアーホースを差し込んで圧縮空気を送るかして換気設備がある時はそれと共に発破後の粉じんの稀釈、除去が図られたが、発破時の退避距離や発破後圧縮空気を放出する時間については一切指導はなく、発破後わずかの時間で切羽に戻り作業にかかる態勢が放置されていた。

6各トンネル掘削現場の労働時間は原則が一〇時間労働であり、勤務時間は午前七時から午後七時までと午後七時から午前七時までの昼夜二交替制であつたため、時には次の番の者が来て交替するまで働くということがあつた。トンネル掘削工事では発注者から工事完成期限が定められておりそれを厳守しなければならない場合が多かつたので、勢い作業が煽られることとなつた。

関ケ原では完成期限に間に合わせるため途中から三交替制がとられ労働時間自体は八時間となつたが、その中で従前の二交替制の時と同じだけの作業をすることが要求されたため過密労働となり換気等の措置は一層疎かになつた。

7原告植杉がトンネル掘削作業に従事している間、佐久間、奥只見、御母衣、黒四、関ケ原では各一回の一般健康診断(胸部エックス線間接撮影を含む。)が行われ原告植杉はこれを受診したが、じん肺健康診断は一回も行われなかつた。

高根では昭和四二年、同四三年に各一回の、新豊根では同四六年に一回のじん肺健康診断(胸部エックス線直接撮影)が一般健康診断の他に行われたが、トンネル掘削作業に従事している坑夫全員にじん肺健康診断を行うことを周知徹底することがなされておらず、受診率は低く原告植杉もいずれのじん肺健康診断も受診していなかつた。たとえば、高根では昭和四二年三月ころ三〇〇名近い坑夫、職員がいたがじん肺健康診断を受けたのは七三名にすぎなかつた。しかも、六月ころには坑夫の数が一〇〇〇余名と増えるのに最も坑夫の数が少ない三月にじん肺健康診断は行われた(なお、丁第一〇号証には昭和四六年のじん肺健康診断について人員約三〇〇名との記載があるが、証人福富晋作の証言によれば、丁第一〇号証は内容を福富晋作が書いたうえ杉浦医師の判だけをもらつてきたものであることが認められ、甲第一七五号証の杉浦医師による「人員約三〇〇人というのは定期健康診断を受けた者を含めた数であり、じん肺健康診断を受けた人の正確な数はカルテもなく記憶も定かでありません」との記載に照らすとじん肺健康診断を受けた人員約三〇〇名との記載は到底措信できない。)。

トンネル坑夫の就労形態に合わせた就労時又は離職時等のじん肺健康診断は行われたことはなかつた。

8被告間組は、すべてのトンネル掘削現場で、トンネル坑夫に対し粉じんを吸入するとじん肺という病気に罹患するおそれがあるということを教えたことはなかつたし、被告間組のもとでトンネル掘削作業に従事してじん肺に罹患した者がいたとの事実も知らせたことはなかつた。

1ないし5のとおり個々の防じん対策について世話役らを通じて坑夫に対し個別的に又はある程度包括的にその励行を指示したり不備を注意することもなかつたが、毎月一回被告間組から職員が出席し各班又は下請会社から班長、大世話役が出席して開催された安全衛生協議会でも労災事故防止に重点が置かれ協議の内容として坑夫に伝えられたのは「けがをするな」「車に気をつけろ」が主であつた。

春の全国安全週間や秋の全国労働衛生週間では防じんマスクの点検や着用が実施要領の一つに掲げられていたが、具体的にろ過材等を一斉に交換したわけでもなく坑夫はさく孔作業時にはマスクを着用しており職員もそれで十分との意識しかなかつた。

なお、7で認定したとおり原告植杉は昭和四九年五月までのトンネル掘削作業従事中はじん肺健康診断を受けたことはなく当然旧じん肺法の健康管理区分の管理三の決定を受けたこともないから配置転換の履行の有無を検討する前提には欠けるが、三項4で認定したとおり原告植杉はじん肺の自覚症状に苦しめられ自ら坑外の仕事への配置転換を申し出、その後半年足らずで管理四の決定を受けたものであるから、原告植杉が管理三の決定を受けたことがなかつたという事実は被告間組の安全配慮義務の履行の有無を検討するうえで象徴的な事柄ということができる。

六被告間組の責任

五項で認定した各事実によれば、被告間組は湿式さく岩機の使用、扇風機、風管の用意、防じんマスクの支給という物理的な面では配慮を尽くした部分があることは認められるが、実際の使用いかんではじん肺予防という肝心な観点が欠落し不完全な使用しかなされていなかつたといわざるをえず、また、数箇所の掘削箇所では最も重要な湿式さく岩機の湿式としての使用及び換気設備の設置がないがしろにされており、じん肺健康診断に至つては極めて不十分なものでしかなく、坑夫に対するじん肺の注意喚起すらなかつた。

したがつて、被告間組は、じん肺防止のための安全配慮義務を尽くさなかつたというほかはない。

三項で認定したとおり、原告植杉は被告間組又は宮建設株式会社のもとでトンネル掘削作業に従事して粉じんを吸入しその結果じん肺に罹患したものであり、四項2で認定したとおり被告間組は宮建設株式会社の被傭者たる原告植杉に対しても安全配慮義務を負つていたのであるから、原告植杉は被告間組の前記債務不履行によりじん肺に罹患したというべきであり、被告間組は、債務不履行責任として、原告植杉がじん肺罹患により被つた損害を賠償すべき義務がある。

(被告飛島の責任)

一当事者

請求原因1(三)の事実は、原告菅野弘子及び原告川口伸彦(以下、被告飛島との関係では「原告川口ら」という。)と被告飛島との間において争いがない。

二川口昭三の作業歴と作業環境

1川口昭三の作業歴

請求原因4の1の(一)の事実のうち川口昭三が被告飛島の被傭者として原告川口ら主張の表の出張所名欄記載の各出張所において被告飛島が請け負つた同表の工事名欄記載の各工事について同表の作業内容欄記載の各作業に従事したことは原告川口らと被告飛島との間において争いがなく、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、各出張所におけるトンネル掘削作業従事期間は、短くとも、青木において昭和二七年九月から同二八年六月まで、相月において同二九年三月から同三〇年三月まで、角田において同三一年四月から同三二年九月まで、岩洞において同三二年一月から同三四年一〇月まで、国見において同三五年一月から同年九月までであつたこと(少くとも合計約七年)が認められる。〈証拠〉には右認定と異なる従事期間の記載があるが、その根拠はあいまいな記憶だけであり、工事従事期間ではあつても必ずしもトンネル掘削作業とは限らない疑いがありたやすく措信できない。また、訴訟承継前原告川口昭三本人尋問の結果中にも右認定と反する供述部分があるが、同人も供述するとおり時期についてはあまり正確な記憶はないのであるからこれもたやすく措信することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2トンネル掘削作業の概要

請求原因3の1の(二)の(1)の事実(トンネル掘削はさく孔、発破、ズリの搬出、支保工建込みの順序で行われること)及び(2)の事実(トンネル掘削の工法に在来式工法、半断面式工法、全断面式工法があることとその内容)は原告川口らと被告飛島との間において争いがない。

そして、1で認定したとおり川口昭三が被告飛島のもとでトンネル掘削作業に従事したのは昭和三五年までであり、訴訟承継前原告川口昭三本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、川口昭三が従事したトンネル掘削工事現場で採用された工法は、青木、国見が木製支保工を使用した全断面掘削工法、相月、角田、岩洞が木製支保工を使用した底設導坑先進工法(原告川口ら主張の在来式工法)であつたことが認められる。

3トンネル内の作業環境

〈証拠〉によれば、川口昭三が従事したトンネル掘削工事現場ではすべて湿式さく岩機が使用されていた(この点は原告川口らと被告飛島との間において争いがない。)が水が供給されなければ空くりせざるをえず、その時はかなり多量の粉じんが発生し坑夫はこれに曝されたこと、発破時には最も多量の粉じんが発生したが坑夫は坑内にいたまま発破箇所から一定距離退避したにすぎず、また、短時間で切羽に戻る時は発破後の多量の粉じんに曝されたこと、さく孔や発破で発生した粉じんは十分な換気がなされない限りは完全に除去されることなく常に坑内に浮遊していたこと、青木、岩洞は湧水の多い現場であつたがさく孔時や発破時に粉じんが発生しないということはなく再飛散が少ないというにすぎなかつたこと、相月の峯トンネル掘削現場については昭和二九年一二月に一酸化炭素、炭酸ガス、じん埃等の調査が行われたが、その際じん埃の個数は空気一cc中さく孔中に三〇〇〇個内外、火薬充填作業中に二〇〇〇個内外、発破直後に四〇〇〇個以上ありこれが発破後二時間以上も継続し発破後三時間経過しても切羽から三〇〇ないし七〇〇メートル離れた所で四〇〇〇個以上あつたとの結果であつたところ、当時労働大臣の諮問機関として存在した珪肺対策審議会の粉じん恕限度専門部会で得られていた粉じん恕限度の数値は、珪肺発生のおそれがあり衛生管理上何らかの措置を必要とするという第一水準で遊離珪酸含有量一〇パーセント未満の場合に一立方センチメートル中一〇〇〇個又は重量二〇ミリグラム、一〇パーセント以上の場合は一立方センチメートル中四〇〇個又は重量八ミリグラム、進行性の症例が発生するおそれがあるという第二水準ですら遊離珪酸含有量一〇パーセント未満の場合に一立方センチメートル中二〇〇〇個又は重量四〇ミリグラム、一〇パーセント以上の場合は一立方センチメートル中四〇〇個ないし一〇〇〇個であつたのであるから、峯トンネル掘削現場のじん埃個数はじん肺発生のおそれが極めて高い多量のものであつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三川口昭三のじん肺罹患

1じん肺の病像

請求原因2の2の(一)の事実のうちじん肺が粉じんを吸入することにより生ずる肺疾患であることは原告川口らと被告飛島との間において争いがない。

右のほか、じん肺の病像に関しては被告古河の責任三項1に認定したとおりである(なお、書証の成立については、甲第一六五号証が成立に争いがなく甲第一六三、第一六四号証が原本の存在とその成立に争いがないほかは被告古河に関してと同様である。)。

2トンネル坑夫のじん肺

トンネル坑夫のじん肺の特徴及びその知見に関しては被告間組の責任三項2に認定説示したとおりである(なお、書証の成立についてはすべて被告間組に関してと同様である。)。

3トンネル掘削作業従事と粉じんの吸入

川口昭三が昭和二七年九月から同三五年九月までの間に少なくとも約七年間被告飛島のもとでトンネル掘削作業に従事したことは二項1で認定したとおりであり、右事実と同項3で認定したトンネル掘削時の粉じんの発生、曝露のおそれの事実によれば、川口昭三は右トンネル掘削作業従事の期間中(特に峯トンネル掘削中は多量の)粉じんに曝されこれを吸入したことを認めることができる。

4川口昭三のじん肺罹患とトンネル掘削作業との因果関係

請求原因4の2の(四)の事実のうち川口昭三が昭和五〇年一二月二七日に旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたことは原告川口らと被告飛島との間において争いがなく、右事実によれば川口昭三がじん肺に罹患したことも明らかである。

二項1及び3のとおり川口昭三は合計約七年間ほぼ続けて被告飛島のもとでトンネル掘削作業に従事しその中には明らかに粉じんの多い峯トンネル掘削作業も含まれていたものであり、〈証拠〉によれば、川口昭三は被告飛島に勤務する以前には粉じんの生ずる作業に従事したことはないこと、昭和三五、六年ころ咳が止まらなくなり身体の調子がよくないので被告飛島を退職したこと、その後昭和三六年一〇月から同四九年一〇月ころまでの間兄弟を頼つて東京又は浜松で左官業に従事したこと、この間こねた材料を塗る作業が多く粉じんの生ずる作業に就いたことはなかつたことが認められるから、川口昭三のじん肺罹患と被告飛島でのトンネル掘削作業との間に因果関係があることが推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。

すなわち、川口昭三は被告飛島のもとでトンネル掘削作業に従事して粉じんを吸入し、その結果、じん肺に罹患し旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたものと認められる。

四安全配慮義務の存在とその内容

1安全配慮義務の存在

請求原因4の3の(一)の事実のうち川口昭三と被告飛島との間に雇傭契約が締結されていたことは原告川口らと被告飛島との間において争いがないから、被告飛島は川口昭三に対し信義則上雇傭契約の付随義務として川口昭三が労務に従事する過程で生命、健康等に危険を生じないように労務場所、機械その他環境につき配慮すべき義務(安全配慮義務)を負つていたことは明らかである。

2じん肺対策実施義務の存在

二項3で認定したとおり川口昭三が従事したトンネル掘削工事現場ではさく孔、発破によつて粉じんが発生し坑夫は常時粉じんに曝されるおそれがあり、また、三項2で触れたとおりトンネル坑夫のじん肺罹患のおそれは遅くとも昭和二三年には十分一般に知られたことであつたのであるから、被告飛島は、川口昭三が被告飛島のもとでトンネル掘削作業に従事し始めた昭和二七年九月当時には、安全配慮義務の一内容として、川口昭三を含むトンネル坑夫が粉じんを吸入してじん肺に罹患することがないように総合的なじん肺対策を実施すべきであつたということができる。

なお、被告飛島においても昭和二七年九月当時からさく岩機は湿式さく岩機が使われていたのであり(原告川口らと被告飛島との間において争いがない。)粉じんに対する配慮が必要なことは当然認識されていたはずで、三項2で触れたとおり昭和二三年四月には他産業の者からさえトンネル坑夫のじん肺罹患の可能性が指摘され同二八年には開さく土建業従事者に対し労働省による珪肺検診が行われているのであるから、同三〇年以前にはじん肺が被告飛島の労務担当者に認識されていなかつたとは考えられず、仮に認識されていなかつたとすればそのこと自体が重大な安全配慮義務の懈怠といいうるものであり、認識されていなかつたことを理由にじん肺対策実施義務の存在を否定することは許されない。

3じん肺対策の具体的内容

金属鉱山に関する粉じんの発生の防止、じん肺健康診断等に関する法令の内容は被告古河の責任四項3(一)に説示したとおりであり、明治時代から昭和二〇年八月までの間に文献上指摘された金属鉱山におけるじん肺の予防方法の内容も同四項3(二)で認定したとおりである。更に、右の中にはトンネル掘削作業に直接関係のある法令もあること及びトンネル掘削においても金属鉱山に関するじん肺対策を積極的に取り入れるべきであることは被告間組の責任四項4(一)及び(二)に説示したとおりである。

また、被告飛島のなすべきじん肺対策の具体的内容を被告間組のなすべきじん肺対策の具体的内容と別異に解すべき合理的理由はないから、昭和二七年九月以降被告飛島がなすべきじん肺対策の具体的内容としても、被告間組の責任四項4(三)に説示したと同じ九項目を挙げることができる。

五被告飛島の債務不履行

被告飛島がなすべき個々のじん肺対策について、その履行の有無を検討する。

さく岩機に関し被告飛島の各現場では湿式さく岩機が使用されていたこと、しかし、坑夫が空くりをすることがあつたこと、換気設備に関し被告飛島がどの現場でも換気設備を特に施さなかつたこと、切羽では発破後さく岩機用のコンプレッサーから送られてくるエアーを吹かしたこと、労働時間に関し勤務時間は午前八時から午後五時までと定められていたときもあつたこと、突貫工事の際には一、二時間の残業があつたことは原告川口らと被告飛島との間において争いがない。

右争いのない事実に〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められ、証人堀江孝司の証言中右認定に反する供述部分は内容に具体性が乏しくかつ前掲各証拠に照らし措信することができず、また、〈証拠〉中右認定に反する記載部分も前掲各証拠に照らしたやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1被告飛島は川口昭三が従事したすべてのトンネル掘削現場で湿式さく岩機を使用していたが、給水管が引かれたことはなくウォータータンクのあつた現場もあつたが実際の使用はほとんを空くりでありそれが容認されていた。

2どの現場でも散水が指示されたことはなく散水用の水もなく、散水はなされていなかつた。

3相月の長さ一五〇〇メートルの峯トンネル、岩洞の長さ一〇〇〇メートルの水路トンネルの場合を含め、どの現場でも全く換気設備は設置されておらず、空気の流れ、粉じんの除去は極めて悪かつた。

4どの現場でも防じんマスクが支給されたことはなく、川口昭三は時に風邪用のマスクをしていただけであつた。

5各現場では、さく孔からズリ搬出又は支保工建込みまでが一勤務時間内での作業とされていたので、発破を坑夫の退坑時にかける上り発破は行いようもなく行われたことはなかつた。

発破は通常昼食時前にかけられたが、坑夫は坑内の切羽から数十メートル離れた所に退避し発破後五、六分で切羽に戻り切羽の点検をした後昼食をとつたので発破後の多量の粉じんの吸入防止にはならなかつた。発破後はさく岩機用のコンプレッサーからのエアーを吹かすことがあつたがごく短時間でほとんど換気の効果はなく、約一時間の昼食後切羽に戻つても粉じんは収まつていなかつた。

発破時の退避距離、退避時間、エアー吹かしの時間はすべて坑夫の任意にされ被告飛島の指導はなかつた。

6各現場は昼夜二交替制で昼の勤務時間は午前八時から午後五時まで、夜の勤務時間は午後八時から午前五時までであつた。相月では被告飛島から特に工事の進行が急がされたため、川口昭三は二、三時間の残業を多く行つていた。他の現場では残業はないか又は少なかつた。

各現場共給料日以外は定まつた休日がなく、川口昭三はほぼ休日なく働いていた。

7被告飛島はどの現場でもじん肺健康診断を行つたことはなく、川口昭三はトンネル掘削作業従事中一回もじん肺健康診断を受けたことがなかつた(したがつて、配置転換の履行の有無を検討する前提には欠ける。)。

8被告飛島はどの現場でもトンネル坑夫に対し粉じんを吸入するとじん肺という病気に罹患するおそれがあるということを教えたことはなく、勿論、じん肺の予防法について何ら注意、指導したことはなかつた。

六被告飛島の責任

五項で認定した各事実によれば、被告飛島はおよそじん肺対策といえるものを何一つ実施していなかつたのであり、安全配慮義務を全く尽くさなかつたことは明白である。とりわけ、昭和三五年三月には旧じん肺法が制定されているにもかかわらず、その前後にすら何のじん肺対策も施さなかつたことは極めて怠慢というほかはない。

三項で認定したとおり、川口昭三は被告飛島のもとでトンネル掘削作業に従事して粉じんを吸入しその結果じん肺に罹患したのであるから、川口昭三は被告飛島の右債務不履行によりじん肺に罹患したというべきであり、被告飛島は、債務不履行責任として、川口昭三がじん肺罹患により被つた損害を賠償すべき義務がある。

(被告らの抗弁)

一和解契約の締結(被告古河)

1被告古河の抗弁1の事実(和解契約の締結)のうち(一)の事実(被告古河と古鉱連との間におけるじん肺協定、閉山協定の締結)及び(二)の事実のうち右各協定において久根鉱業所における作業に従事したため作業員がじん肺の有所見者又はじん肺罹患者となつたことに関し被告古河が栄養剤の支給、休業見舞金の支給、停年の延長、自宅療養者に対する見舞金の支給、退職時の栄養補給、退職者に対する餞別の支給、死亡者の遺族に対する特別弔慰金の支給等の救済、補償の措置を講ずることが合意されたことは原告らと被告古河との間において争いがない。

2しかし、〈証拠〉によれば、前記じん肺協定及び閉山協定のいずれにおいても、被告古河を退職後健康管理区分の管理四の決定を受けた者(但し、管理二、管理三の決定を受けていた者を除く。)について、退職後管理四の決定を受けた場合でも被告古河に対し損害賠償請求は一切しないとの条項はもとより被告古河が右の者に対し見舞金の支給等何らかの救済、補償をするとの条項も全くないことが認められるから、在職中管理四の決定を受けた作業員に対し被告古河が講ずる措置が規定されたじん肺協定又は閉山協定の存在をもつて、退職後管理四の決定を受け右協定による何らの救済等も受けていない者について事前に被告古河との間でじん肺罹患に関しては一切解決済み、すなわち、損害賠償請求は一切しないとの合意がなされたと解することができないことは明白である。

3更に、2掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、前記じん肺協定及び閉山協定のいずれにおいても、被告古河在職中管理四の決定を受けた者又は管理四の決定は受けていないが管理二、管理三の決定は受けた者で右協定上の措置を具体的に受けた者についても、協定上の措置を受けた以上それ以外の損害賠償請求は一切しないとの明文の条項は存しないこと、そもそも、じん肺協定及び閉山協定は作業員のじん肺罹患に関する被告古河の法的責任の有無が争いになつてそれを解決するため締結されたものではなく、数次のじん肺協定の改訂にあたつても被告古河の法的責任が追及されたことは全くないこと、したがつて、右協定上の措置は損害賠償ではなく被告古河からの災害補償又は見舞の性質をもつものであることが認められる。また、被告古河元従業員のうち実際に右協定に基づく支給金を受領した者とその金額は別紙七被告古河協定に基づく支給金一覧表のとおりである(被告古河の抗弁4(四)の事実で原告らはこれを明らかに争わない。)ところ、右金額はじん肺罹患、管理四の決定を受けたことによる一切の損害賠償金額としては首肯しえない金額である。

右各事実によれば、被告古河主張のじん肺協定又は閉山協定の存在をもつて、在職中管理四の決定を受けた者又は管理四の決定は受けていないが管理二、管理三の決定は受けた者で右協定上の措置を具体的に受けた者についても被告古河との間でじん肺罹患に関しては右措置で一切解決済み、すなわち、損害賠償請求は一切しないとの合意がなされたとは解することができない。

4したがつて、被告古河の和解契約の締結の抗弁は理由がない。

二消滅時効(各被告)

本件各被告は、いずれも、安全配慮義務不履行による損害賠償請求権については安全配慮義務の履行を請求しえなくなつた時である被傭者の退職日から消滅時効が進行すると主張するが、消滅時効の起算点は「権利を行使しうることを知るべかりし時期」すなわち、債権の性質、内容及び債権者の職業、地位、教育等から権利を行使することを現実に期待又は要求することができる時期と解すべきであり、本件各被告の安全配慮義務不履行により本件原告ら(別紙二請求金額一覧表の原告番号九、一三の1ないし4、一八の1、2、二三の1ないし6の原告についてはその被承継人を指し、同表の原告番号二五の1ないし3の原告は除く。)が取得する損害賠償請求権については、右の「権利を行使しうることを知るべかりし時期」は静岡県磐田郡佐久間町において原告ら訴訟代理人の弁護士により損害賠償請求訴訟の説明会が開催された昭和五三年四月九日と認めるのが相当である。なお、菅周治(別紙二請求金額一覧表の原告番号二五の1ないし3の原告の被承継人)については、同人が現じん肺法によるじん肺管理区分の管理三合併症肺結核の決定を受けた昭和五四年八月二四日と認めるのが相当である。

本件原告らが安全配慮義務不履行による損害賠償請求訴訟を提起したのは最も遅い者で昭和五五年一一月二二日であることは記録上明らかであるから、本件訴提起前に前記説明会から一〇年は経過しておらず、原告ら全員に消滅時効は完成していない。したがつて、本件各被告の消滅時効の抗弁は理由がない。

右判断の理由は次のとおりである。

1民法一六六条一項は、債権の消滅時効は債権者が「権利を行使することを得る時」から進行すると規定するが、右は停止条件が未だ成就せず又は期限が未だ到来しない等の法律上の障害があるために権利を行使することができない場合には未だ時効は進行するものではないということを意味する規定であることは明らかであるが、それ以上に、権利を行使するにつき法律上の障害がない時は常に直ちに時効は進行するということまで一義的必然的に意味する規定であるとは解することができない。

むしろ、権利の種類、性質によつては権利の行使につき法律上の障害はなくともその権利の行使を当事者に期待することが事実上不可能に近いものが存し、このような場合には「権利を行使することを得る」とは単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなくその権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要とすると解さなければ、権利は行使の可能性もないまま消滅時効の完成により失われてしまうことになり不当である(最判昭和四五年七月一五日・民集二四巻七号七七一頁参照)。そもそも、権利は第一次的には守られるべきものであるから、時効も非権利者に権利を与え債務者に債務を免れさせる制度としてではなく真の権利者の権利を保護し債務を弁済した者の免責を確保するための制度として理解し運用されるべきことは当然であり、仮に、消滅時効には債務者に債務を免れさせる結果を生ずる方向に機能する一面があるとしてもその場合には単なる時の経過のみではなく債権者に権利の行使につき懈怠があること(債権者が権利の上に眠つていること)が必須というべきである。

そうすると、民法一六六条一項の「権利を行使することを得る時」とは債権の性質、内容及び債権者の職業、地位、教育等から権利を行使することを現実に期待又は要求することができる時期と解するのが時効制度の趣旨に最も適合する。

2右のように解するときは、債務不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、本来の債務(これには契約上の本来的給付義務と契約に付随する義務とが含まれる。)の履行請求権の消滅時効の起算点にとらわれることなく、時効制度の趣旨に立脚し当該損害賠償請求権の性質等を考慮して独自に決定すべきこととなり、右の両起算点が一致しない場合も生じうる。

すなわち、本来の債務にしてもその債務不履行にしても、一般的にいつて、種々の内容又は態様がある(たとえば、本来の債務には、物の引渡、金銭の支払等が本来的給付義務のほか給付義務履行の過程で相手方に損害を与えないという保護義務等が存し、債務不履行には履行遅滞、履行不能、積極的債権侵害等が存する。)うえ、個別の事案における各債務、各債務不履行、債務不履行から生ずる各損害は様々な内容を有する事案毎に別異なものであり、本来の債務の履行請求権と債務不履行による損害賠償請求権との関係も画一ではない。しかも、損害賠償請求権である以上は損害の発生を不問にして権利の発生やその消滅時効を考えろことはできないというべきであるが、損害の発生時は本来の債務の履行を請求しうる時期と一致するとは限らない。

したがつて、いかなる債務、いかなる債務不履行の場合でも債務不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点を本来の債務の履行請求権の消滅時効の起算点(本来の債務の履行を請求しうる時)と一致させねばならない必然的な理由はなく、むしろ両起算点を無理に一致させると債務不履行後長期間経過してから損害が発生した場合に極めて不合理な結論に陥る。たとえば、両起算点を無理に一致させると、本来の債務が粉じん職場における安全配慮義務である場合には安全配慮義務不履行による損害賠償請求権の消滅時効の起算点も粉じん職場離脱時(本来の債務の履行を請求しうる最終時)となり、粉じん職場離脱後一〇年以上経過してからじん肺が発症しじん肺管理区分の管理四の決定を受けたじん肺罹患者が安全配慮義務不履行による損害賠償請求権を行使しようとすると、損害が発生し権利の行使が可能となる前に既に右損害賠償請求権の消滅時効が完成しているという結論を招来するが、この結論が極めて不合理であることは明らかである。

3そこで、以下、本件各被告の安全配慮義務不履行により本件原告らが取得する損害賠償請求権について、右損害賠償請求権の性質、内容及び本件原告らの職業、地位、教育等から本件原告らに対し権利を行使することを現実に期待又は要求することができる時期を検討する。

まず、本件原告らは、被告古河元従業員、原告植杉及び川口昭三がじん肺に罹患したことによつて被つた精神的苦痛を慰謝するに足る慰謝料を安全配慮義務不履行による損害賠償として請求するところ、右のじん肺罹患とは旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受ける程の重症のじん肺罹患を指すことは原告らの主張から明らかであるから、管理四の決定を受けるまでは仮に損害はそれ以前に客観的には発生しているとしても損害賠償請求権の行使は到底期待できないというべきである。

のみならず、右管理四の決定を受けたというだけで、その決定のなされた時代や決定を受けた者の認識等に関係なく直ちに当然に安全配慮義務不履行による損害賠償請求権の行使を現実に期待又は要求することができるということもできない。

4すなわち、安全配慮義務不履行による損害賠償請求権という権利について考察するに、雇傭契約に基づき使用者が被傭者に対し安全配慮義務に類する義務を負うとの学説は昭和初期から見られたが、裁判の場で安全配慮義務不履行による損害賠償請求が主張されこれが認められたことが公刊されたのは昭和四八年になつてからであり(福岡地裁小倉支判昭和四七年一一月二四日・判例時報昭和四八年四月二一日号(六九六号)二三五頁、東京地判昭和四七年一一月三〇日・判例時報昭和四八年六月一一日号(七〇一号)一〇九頁)、国家公務員の公務災害に関する昭和五〇年二月二五日の最高裁判決により「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間」における当該法律関係上の義務としての(したがつて、当該法律関係が雇傭契約である時は雇傭契約上の義務としての)安全配慮義務の存在及び安全配慮義務不履行による損害賠償請求権の存在が最高裁判所でも初めて認められ、右最高裁判決により安全配慮義務不履行による損害賠償請求権の存在が広く一般に知られるに至つたものである。

右のとおり、安全配慮義務不履行による損害賠償請求権は権利として確立されるのが遅かつたうえ、安全配慮義務の具体的内容は安全配慮義務が問題となる当該具体的状況によつて異なりまたその債務不履行の内容もそれぞれ具体的場合により異なるため安全配慮義務不履行による損害賠償請求権を具体的にとらえることは他の権利に比べるとはるかに困難である。

5更に、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、原告ら側に関し次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告古河元従業員、原告植杉及び川口昭三はいずれも尋常小学校又は尋常高等小学校を卒業した後、被告古河、被告間組又は被告飛島に勤めるほかはほとんど佐久間町又は自己の出身地付近において農作業や山仕事に従事して過ごした者が多く、地域社会の中で裁判や権利の行使とは無縁な生活を送つてきた。被告古河に勤めた者は労働組合を組織して労働者としての権利を主張したが、労働組合には会社と対決するような姿勢はなく会社の増産、業績向上に組合としても個人としても協力し、また、従業員だけでなく家族全体が会社の病院を利用し会社主催の祭りに参加し会社から従業員を心地よく職場に送り出せるようにという指導を受ける等し会社は従業員の日常生活に深くかかわつていた。したがつて、従業員又は従業員であつた者から会社に対して損害賠償請求権を行使するようなことは全く思いも及ばない環境にあつた。現に、昭和三一年にけい肺の症状第四症度の決定を受け被告古河の久根鉱業所でのじん肺の発生に警鐘を鳴らし久根じん肺患者同盟の結成に尽力し昭和四一年には静岡県じん肺患者同盟協議会の初代会長となつた山下岩男さえ、じん肺患者の権利を模索して国や県に対しじん肺患者の救済を訴える行動はしたが、会社の責任を追及して裁判所に対し損害賠償請求を訴える道があることは全く考えつかなかつた。

また、被告間組又は被告飛島に勤めた原告植杉及び川口昭三は労働組合もなく厚生年金の受給資格もない中でこれらを獲得する術もないままで働いており、原告植杉は各現場毎に短期間で雇傭、解雇が繰り返される雇傭形態に甘んじ、川口昭三は長女が会社の施設で負傷した際見舞金すら受け取れなくても結局会社には何も請求できなかつたもので、会社に対しじん肺罹患に関して何らかの請求ができるとは到底思いつけない環境にあつた。

4でみた本件損害賠償請求権の性質及び右で認定した原告ら側の事情に照らせば、旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けたというだけでは本件原告らに対し安全配慮義務不履行による損害賠償請求権の行使を現実に期待又は要求することができるとは認めがたい。特に、じん肺患者の権利を模索し、その救済のための活動をしながら、遂にその権利を発見することができないまま死亡した山下岩男をもつて権利の上に眠つていたとすることができないことは明白であるし、その他本件原告らのうちには後に認定する損害賠償請求訴訟の説明会の前には権利の上に眠つていたと目することができる者は存しない。

6〈証拠〉によれば、原告平出猪象は原告ら訴訟代理人の一人である名倉弁護士と昭和五二年二月ころ偶然知り合つてじん肺罹患に関する損害賠償請求の可能性を初めて聞き、同年一二月二七日には原告平出猪象のほか原告植杉及び原告山下静江が原告ら訴訟代理人のうち名倉弁護士外数名と話し合いをもち、同五三年四月九日には佐久間町において本件原告らを含む佐久間町付近のじん肺患者約七〇名を集めて原告ら訴訟代理人によりじん肺罹患に関する会社に対しての損害賠償請求訴訟の説明会が開催されたことが認められる。

右事実によれば、当時まだ現じん肺法によるじん肺管理区分の管理三合併症肺結核の決定を受けていなかつた菅周治以外の原告らに関しては、右訴訟説明会が開催された昭和五三年四月九日以降は本件安全配慮義務不履行による損害賠償請求権を行使することを現実に期待又は要求することができたというべきである。

そして、右訴訟説明会開催の事実によれば、右訴訟説明会の時までには原告らにもじん肺の疾患としての特徴、管理四の決定を受けた後の死亡を含む病状の悪化の蓋然性は当然認識され又は認識可能であつたことが推認されるから、原告らは右訴訟説明会の時以降はじん肺罹患により過去に被つた精神的苦痛のみならず病状の悪化に伴う死亡の場合をも含む将来被りうる精神的苦痛についての慰謝料請求権を行使することが可能であり期待できたというべきであり、現に、原告らの慰謝料請求は単なる過去の精神的苦痛のみでなく将来被ることが予想される精神的苦痛をも視野に入れたものであることはその主張自体から明らかである。

7なお、菅周治に関しては、同人は昭和五四年八月二四日に現じん肺法によるじん肺管理区分の管理三合併症肺結核の決定を受けたものであるところ、すでに当時、同じ被告古河の久根鉱業所で坑内作業に従事していた原告平出猪象らが被告古河に対して安全配慮義務不履行による損害賠償請求訴訟を提起し係争中であつたのであるから、前記決定を受けた時には安全配慮義務不履行による損害賠償請求権を行使することを現実に期待又は要求することができたというべきである。

以上のとおり、本件各被告の安全配慮義務不履行により本件原告ら(別紙二請求金額一覧表の原告番号九、一三の1ないし4、一八の1、2、二三の1ないし6の原告についてはその被承継人を指し、同表の原告番号二五の1ないし3の原告は除く。)が取得する損害賠償請求権(過去に被つた精神的苦痛及び病状の悪化に伴い死亡の場合をも含む将来被りうる精神的苦痛についての慰謝料請求権)の消滅時効の起算点、すなわち、右権利を行使することを現実に期待又は要求することができる時期は、損害賠償請求訴訟の説明会が開催された昭和五三年四月九日と認めるのが相当であり、菅周治の右権利の消滅時効の起算点は管理三合併症肺結核の決定を受けた同五四年八月二四日と認めるのが相当である。

三寄与率による損害賠償額の減額(被告間組)

1被告間組の責任六項で認定したとおり原告植杉は被告間組の安全配慮義務不履行によりじん肺に罹患したのであるから被告間組は原告植杉がじん肺罹患により被つた全損害を原則として賠償すべきところ、原告植杉のじん肺罹患に他職場における粉じん吸入(これが他職場の安全配慮義務不履行又は注意義務違反に基づくか否かは問わないと解すべきである。)が寄与している時には被告間組の損害賠償額を認定するうえで右粉じん吸入を考慮すべき場合があると解される。しかし、右考慮すべき場合とはじん肺罹患に他職場における粉じん吸入も寄与したというだけでは足りず、被告間組の安全配慮義務不履行がじん肺罹患に寄与した度合が相対的に少ないという場合に限られ、その場合には被告間組は少ない寄与の度合に応じた分だけ損害賠償額を負担すれば足りると解すべきである。

2これを本件についてみるに、被告間組の責任三項4で認定したとおり原告植杉は被告間組(及びその下請会社である宮建設株式会社)のもとでのほか大成建設株式会社が請け負つたトンネル掘削工事現場で合計約四年一〇月稼働したが右稼働中いずれもさく孔、発破かけを主とするトンネル掘削作業自体には従事していないのであり、本件全証拠によるも、原告植杉が大成建設株式会社における作業中粉じんを吸入したのか、粉じんを吸入したとしてもそれがじん肺罹患に寄与したのかすら不明確で、被告間組の安全配慮義務不履行が原告植杉のじん肺罹患に寄与した度合が相対的に少ないとは到底認められない。

したがつて、被告間組の損害賠償額を認定するうえで大成建設株式会社のもとでの作業はおよそ考慮する必要はなく、被告間組の寄与率による損害賠償額の減額の抗弁は失当である。

四過失相殺(各被告)

本件各被告は、いずれも、被告古河元従業員、原告植杉又は川口昭三には、支給された防じんマスクを着用しない、散水をしない、さく岩機の湿式使用をしない、給水設備及び換気設備の延長、維持をしない、発破後の圧縮空気の開放をしない、じん肺健康診断の受診をしない等の自己保全義務(安全健康保持義務、自己保健義務)を怠つた過失があると主張する。

しかし、各被告とも、各被告の責任で個々に認定したとおり防じん設備、防じん措置自体が不十分であつた(とりわけ、被告飛島は防じんマスクの支給をしていないし給水設備もほとんど設置していなかつた。)うえ、防じん設備、防じん措置の十全な活用を困難ならしめる作業環境もあり(たとえば、被告古河の久根鉱業所においては高温多湿のため防じんマスクを着用しての作業は極めて困難であつた。被告間組のトンネル掘削現場では完成期限に間に合わせるため換気措置を疎かにしても作業を急ぐ態勢があつた。)、何よりも個々の防じん対策の実施が個別的にも包括的にも十分指示、指導されず、じん肺罹患防止のための措置であるとは周知徹底されていなかつた。

したがつて、被告古河元従業員、原告植杉又は川口昭三のうちに時として用意された防じん設備、防じん措置を使用することを怠つた者がいたとしても、これは各被告自身の安全配慮義務不履行又は被告古河元従業員らではいかんともしがたい事由に起因するものであるから、被告古河元従業員らに損害賠償額につき斟酌すべき過失は存しないというべきであり、各被告の過失相殺の抗弁も理由がない。

五損益相殺(被告古河、被告間組)

被告古河、被告間組は、被告古河元従業員又はその相続人、原告植杉が昭和六〇年四月までに受領した労災保険給付及び厚生年金保険給付並びに今後受領することが予定されている労災保険給付及び厚生年金保険給付の合計額又は右のうち逸失利益補填後の余剰分、被告古河においては更に被告古河と古鉱連との間のじん肺協定又は閉山協定に基づき受領した支給金は慰謝料額から控除すべきであると主張する。

しかし、労災保険給付は労災事故により労働者が被つた財産上の損害の填補のためにのみされるものであつて精神上の損害の填補の目的をも含むものではないから、その受領済の金額の全部にせよ一部にせよ慰謝料額から控除することは許されないというべきである(最判昭和三七年四月二六日・民集一六巻四号九七五頁、同昭和五八年四月一九日・民集三七巻三号三二一頁参照)。まして、今後受領することが予定されている労災保険給付については現実の支給がなされていないという点からも到底慰謝料額から控除されるべきではない(最判昭和五二年一〇月二五日・民集三一巻六号三六頁参照)。

また、厚生年金保険給付も労働者の生活の安定を目的とするものであるうえ、老齢年金についてはじん肺罹患とは一切かかわりなく就業中一定の保険料を支払つた者が一定の年齢に達すれば支給を受けるものであるから、受領済の厚生年金にせよ今後受領することが予定されている厚生年金にせよその全部にせよ一部にせよ慰謝料額から控除されるべきではない。

更に、被告古河と古鉱連との間のじん肺協定又は閉山協定に基づく支給は一項3で認定したとおり損害賠償金の性質をもつものではなく、労災保険給付が従前の賃金の十割分支給されないことを補填する企業の上積補償又は見舞金と解すべきであるから、慰謝料額算定にあたり斟酌しうる一事情とはなりうるとしても当然に慰謝料額から控除されるべきものではない。

したがつて、被告古河、被告間組の損益相殺の抗弁も理由がない。

(原告らの損害)

一じん肺の病像に関しては被告古河の責任三項1で認定したとおりであるところ、〈証拠〉によれば、じん肺の自覚症状としては、主に、呼吸困難(息切れ)、心悸亢進(動悸)、咳嗽、喀痰、胸痛、背痛、倦怠感、脱力感があり、かぜをひき易く一度ひくと治りにくいとの傾向をもつこと、遊離珪酸濃度の低い粉じんによる非典型珪肺ではまず、咳嗽、喀痰が顕著に現れ、その後呼吸困難、心悸亢進が生ずること、じん肺の症状の進行は緩慢でも進行を続けた場合は肺性心により死亡し又は肺結核等の合併症により死亡に至ることが認められる。

〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、被告古河元従業員、原告植杉及び川口昭三のじん肺の自覚症状発現時期、旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けた時の年齢、口頭弁論終結時の症状、従前の入院歴、死亡者についてはその死因等は別紙一一じん肺による症状一覧表のとおりであること及び右症状から歩行が困難である、仰向けに寝ることができない、一日中何もせず(できないで)過ごすという日常生活上の制約を受けている者が多いことが認められる。

右各事実によれば、被告古河元従業員、原告植杉、川口昭三は長期間にわたる身体的苦痛、日常生活上の制約から多大な精神的苦痛を被つてきたということができ、じん肺が不可逆性、進行性疾患であることに照らすと前記認定のような症状は今後も続き悪化していくことが予想されそれに伴う精神的苦痛も今後も続き増加することが予想される。のみならず、本件訴提起後口頭弁論終結までに訴提起時の患者原告五名が死亡したことで明らかなように症状の悪化による死亡の可能性も予想され、それも、昭和五九年七月二三日には出頭し本人尋問を受けた立石夘三造が同年一一月九日に、同年一〇月二九日には出頭し本人尋問を受けた菅周治が同年一一月六日に死亡したように死亡が突然である可能性も否定できない。右のような事実は生存する患者原告に対し身体的苦痛からくるものとは別の精神的苦痛を与えており、この精神的苦痛は統計的にじん肺罹患者の平均死亡年齢が全国男子の平均死亡年齢に接近している事実があつたとしても減殺されるものとは考えられない。

二被告古河元従業員又はその相続人が昭和六〇年四月現在別紙五被告古河元従業員労災保険給付一覧表の月額平均給付金額欄記載の各金額の労災保険給付を受領していること(被告古河の抗弁4(二)の事実)は被告古河関係の原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。また、〈証拠〉によれば、昭和六〇年四月現在原告植杉が月額二七万八四五二円の労災保険給付を受領していることが認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、労災保険給付は被告古河元従業員らのうち多くの者が管理四の決定を受けた昭和四〇年代には現在ほど充実した制度ではなく昭和五〇年以降改善されたこと、したがつて、管理四の決定を受けた当時及びその前には経済的に困窮した時期があつたことが認められる。

右の経済的困窮からくる精神的苦痛も看過することはできない。

三一項及び二項で検討した点も踏まえたうえで損害賠償額について検討するに、被告古河元従業員、原告植杉、川口昭三の粉じん作業に従事した期間、時期、作業の形態は様々であり、各被告の各個人に対する安全配慮義務不履行の程度もそれに応じて異なる。また、現在までのじん肺罹患による症状の変遷、現在の症状の程度は区々に分れており現在までに死亡した者もいる。更に、家族構成、財産、収入の多寡も当然異なつている。しかし、いずれも、粉じんをかなり長期間吸入してじん肺に罹患し旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定又はそれに準ずる決定(菅周治は現じん肺法によるじん肺管理区分の管理三の決定を受けたものであるが、結核の合併症があり六三歳で死亡したことも考えるとここで損害賠償額を考えるうえでは旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定に準ずる決定とみなしてさしつかえないものと解する。)を受けた者であり、その請求するところは慰謝料のみであるから、細部についての個々の差異は捨象し原則的には一律に賠償額を決めるのが相当である。そして、生存者についても死亡の可能性(現実には口頭弁論終結後判決言渡までの間に死亡する患者原告のありうることは想像に難くない。また、判決言渡後数日を経ずして死亡する患者原告のあることも危ぶまれる。)、と死亡までの精神的苦痛が予想されるのであるから、口頭弁論終結時の生存者と死亡者との間で賠償額について差異を設けるのは相当ではない。

もつとも、金属鉱山(被告古河)における安全配慮義務不履行の程度とトンネル掘削現場(被告間組、被告飛島)における安全配慮義務不履行の程度とを対比すると後者の方が不履行の程度が甚だしいと断ぜざるをえず、これに対応して原告植杉及び川口昭三は粉じん作業に従事した期間が短く年齢も若いうちに旧じん肺法による健康管理区分の管理四の決定を受けており、かつ、じん肺の症状も重く管理四の決定を受けた後入院した期間も長い。しかも、原告平出猪象(第二回)及び同植杉次郎(第一回)各本人尋問の結果によれば、原告植杉及び川口昭三はいずれも会社の方針で厚生年金の受給資格を得ることができず、厚生年金保険給付を受領していないため経済的困窮の期間が長かつたことが認められる。

したがつて、金属鉱山における坑内作業員とトンネル掘削現場の坑夫とでは別異に賠償額を決めるのが相当である。

そこで、本件各被告の安全配慮義務不履行の態様、被告古河元従業員、原告植杉、川口昭三の損害の内容、別紙七被告古河協定に基づく支給金の受領状況その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を総合すると、被告古河元従業員がじん肺罹患によつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料額は、久根鉱業所閉山に際し閉山協定に基づき被告古河から各二七〇万円の支給金を受領した原告日名地九一、同仲谷久好、同立石福松、同轟勝、同木下勇及び同横村金一については一一〇〇万円と、その余の被告古河元従業員については一二〇〇万円と、原告植杉及び川口昭三がじん肺罹患によつて被つた精神的苦痛に対する慰謝料額は一五〇〇万円とするのが相当である。

四弁護士費用

原告ら(但し、別紙二請求金額一覧表の原告番号九、一三の1ないし4、一八の1、2、二三の1ないし6、二五の1ないし3の原告についてはそれぞれその被相続人)が原告ら訴訟代理人に対し本件訴の提起及び追行を委任したことは記録上明らかであり、本件事案の難易度、審理の経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、各認容慰謝料額の一割に相当する金額をもつて各被告に請求しうる弁護士費用と認めるのが相当である。

五相続

山下岩男、高柳政治、日名地潔、杉浦伊三郎、立石夘三造及び菅周治の死亡及び相続の事実は被告古河関係の原告らと被告古河との間において争いがなく、川口昭三の死亡及び相続の事実は原告川口らと被告飛島との間において争いがない。

(結論)

以上のとおりであつて、原告らの本訴請求は別紙一認容金額一覧表の原告番号一ないし一六の6、一九ないし二五の3の各原告が被告古河に対し、原告植杉が被告間組に対し、原告菅野弘子及び原告川口伸彦が被告飛島に対し、同表の認容金額合計欄記載の金額の各損害賠償金及び右各金員に対する各被告に対する訴状送達の日の翌日である同表の遅延損害金の起算日欄記載の各年月日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言(但し、認容金額の各二分の一の限度においてこれを付するのが相当である。)につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言の申立については相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官浅香恒久 裁判官安倍晴彦 裁判官江口とし子)

別 紙

一認容金額一覧表

二請求金額一覧表

三相続人一覧表〈省略〉

四原告ら主張被告古河元従業員作業一覧表〈省略〉

五被告古河元従業員労災保険給付一覧表〈省略〉

六被告古河元従業員厚生年金保険給付推計一覧表〈省略〉

七被告古河協定に基づく支給金一覧表〈省略〉

八被告古河元従業員作業一覧表〈省略〉

九金属鉱山等保安規則変遷表〈省略〉

一〇原告植杉トンネル掘削工事従事一覧表〈省略〉

一一じん肺による症状一覧表〈省略〉

別紙図面

(一) 久根鉱業所本山坑縦断面図〈省略〉

(二) 久根鉱業所名合坑縦断面図〈省略〉

別紙一 認容金額一覧表

原告番号

原告氏名

認容金額(円)

遅延損害金の起算日

(昭和年月日)

慰謝料

弁護士費用

合計

平出猪象

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

日名地九一

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

五四・一・一一

仲谷久好

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

五四・一・一一

佐々木一郎

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

長沼博

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

植山夘吉

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

立石福松

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

五四・一・一一

月花重

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

日名地久子

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

一〇

轟勝

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

五四・一・一一

一一

佐奈源吉

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

一二

田口孝平

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

一三の1

杉浦芳子

四〇〇万

四〇万

四四〇万

五四・一・一一

杉浦勝久

二六六万六六六六

二六万六六六六

二九三万三三三二

五四・一・一一

杉浦文男

二六六万六六六六

二六万六六六六

二九三万三三三二

五四・一・一一

杉浦岳男

二六六万六六六六

二六万六六六六

二九三万三三三二

五四・一・一一

一四

松本繁育

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・一・一一

一五

木下勇

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

五四・一・一一

一六の1

山下静江

四〇〇万

四〇万

四四〇万

五四・一・一一

山下公子

一六〇万

一六万

一七六万

五四・一・一一

小林満子

一六〇万

一六万

一七六万

五四・一・一一

板垣京子

一六〇万

一六万

一七六万

五四・一・一一

山下昇

一六〇万

一六万

一七六万

五四・一・一一

老松泰子

一六〇万

一六万

一七六万

五四・一・一一

一七

植杉次郎

一五〇〇万

一五〇万

一六五〇万

五四・一・一二

一八の1

菅野弘子

七五〇万

七五万

八二五万

五四・一・九

川口伸彦

七五〇万

七五万

八二五万

五四・一・九

一九

横村金一

一一〇〇万

一一〇万

一二一〇万

五四・七・二一

二〇

鈴木三雄

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五四・七・二一

二一の1

高柳はつ

四〇〇万

四〇万

四四〇万

五四・七・二一

高柳悌子

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五四・七・二一

高柳晃

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五四・七・二一

高柳敬

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五四・七・二一

村井緑

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五四・七・二一

二二

守屋育造

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五五・一二・四

二三の1

笹野町子

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五五・一二・四

柵木みね子

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五五・一二・四

立石浅次郎

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五五・一二・四

村田ツギ子

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五五・一二・四

立石秀雄

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五五・一二・四

立石昭男

二〇〇万

二〇万

二二〇万

五五・一二・四

二四

奥山竹松

一二〇〇万

一二〇万

一三二〇万

五五・一二・四

二五の1

菅ふみゑ

六〇〇万

六〇万

六六〇万

五五・一二・四

菅明夫

三〇〇万

三〇万

三三〇万

五五・一二・四

渡邊明子

三〇〇万

三〇万

三三〇万

五五・一二・四

別紙二 請求金額一覧表

原告番号

原告氏名

請求金額(円)

遅延損害金の起算日

(昭和年月日)

慰謝料

弁護士費用

合計

平出猪象

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

日名地九一

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

仲谷久好

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

佐々木一郎

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

長沼博

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

植山夘吉

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

立石福松

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

月花重

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

日名地久子

四〇〇〇万

四〇〇万

四四〇〇万

五四・一・一一

一〇

轟勝

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

一一

佐奈源吉

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

一二

田口孝平

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

一三の1

杉浦芳子

一三三三万三三〇〇

一三三万三三〇〇

一四六六万六六〇〇

五四・一・一一

杉浦勝久

八八八万八八〇〇

八八万八九〇〇

九七七万七七〇〇

五四・一・一一

杉浦文男

八八八万八八〇〇

八八万八九〇〇

九七七万七七〇〇

五四・一・一一

杉浦岳男

八八八万八八〇〇

八八万八九〇〇

九七七万七七〇〇

五四・一・一一

一四

松本繁育

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

一五

木下勇

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一一

一六の1

山下静江

一三三三万三三〇〇

一三三万三三〇〇

一四六六万六六〇〇

五四・一・一一

山下公子

五三三万三三〇〇

五三万三三〇〇

五八六万六六〇〇

五四・一・一一

小林満子

五三三万三三〇〇

五三万三三〇〇

五八六万六六〇〇

五四・一・一一

板垣京子

五三三万三三〇〇

五三万三三〇〇

五八六万六六〇〇

五四・一・一一

山下昇

五三三万三三〇〇

五三万三三〇〇

五八六万六六〇〇

五四・一・一一

老松泰子

五三三万三三〇〇

五三万三三〇〇

五八六万六六〇〇

五四・一・一一

一七

植杉次郎

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・一・一二

一八の1

菅野弘子

一五〇〇万

一五〇万

一六五〇万

五四・一・九

川口伸彦

一五〇〇万

一五〇万

一六五〇万

五四・一・九

一九

横村金一

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・七・二一

二〇

鈴木三雄

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五四・七・二一

二一の1

高柳はつ

一三三三万三三〇〇

一三三万三三〇〇

一四六六万六六〇〇

五四・七・二一

高柳悌子

六六六万六六五〇

六六万六六五〇

七三三万三三〇〇

五四・七・二一

高柳晃

六六六万六六五〇

六六万六六五〇

七三三万三三〇〇

五四・七・二一

高柳敬

六六六万六六五〇

六六万六六五〇

七三三万三三〇〇

五四・七・二一

村井緑

六六六万六六五〇

六六万六六五〇

七三三万三三〇〇

五四・七・二一

二二

守屋育造

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五五・一二・四

二三の1

笹野町子

五〇〇万

五〇万

五五〇万

五五・一二・四

柵木みね子

五〇〇万

五〇万

五五〇万

五五・一二・四

立石浅次郎

五〇〇万

五〇万

五五〇万

五五・一二・四

村田ツギ子

五〇〇万

五〇万

五五〇万

五五・一二・四

立石秀雄

五〇〇万

五〇万

五五〇万

五五・一二・四

立石昭男

五〇〇万

五〇万

五五〇万

五五・一二・四

二四

奥山竹松

三〇〇〇万

三〇〇万

三三〇〇万

五五・一二・四

二五の1

菅ふみゑ

一五〇〇万

一五〇万

一六五〇万

五五・一二・四

菅明夫

七五〇万

七五万

八二五万

五五・一二・四

渡邊明子

七五〇万

七五万

八二五万

五五・一二・四

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